東京高等裁判所 平成11年(ネ)5333号 判決 2000年11月30日
控訴人 宋神道
被控訴人 国
代理人 大圖明 松村葉子 佐藤純一 向山敏明 根原稔 ほか1名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対して、原判決別紙記載の謝罪文を交付して謝罪するとともに、国会において、公式に謝罪せよ。
3 被控訴人は、控訴人に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する平成七年一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(控訴人は当審において請求の減縮をした。)
二 被控訴人
主文と同旨
第二事案の概要
本件は、韓国籍を有する一九二二年(大正一一年)生まれの在日韓国人の女性で、昭和一三年から日中戦争終了までの約七年間にわたり、中国大陸における旧日本軍の慰安所でいわゆる従軍慰安婦をしてきた控訴人が、控訴人をして兵士に対する強制売春に従事させた旧日本軍の行為は集団的、組織的強姦であるとし、その肉体的、精神的損害の回復を求めるために、(1) 従軍慰安婦制度を実施した行為は、<1>奴隷の禁止に関する奴隷条約(一九二七年発効)違反、<2>強制労働ニ関スル条約(昭和七年条約第一〇号。以下「強制労働条約」という。)違反、<3>国際法上の人道に対する罪についての違反、<4>醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約(大正一四年条約第一八号。以下「醜業条約」という。)の違反、<5>通常の戦争犯罪に関する各国際法の違反があり、日本には国際不法行為による国際法上の国家責任があり、国際法又は国際慣習法に基づく直接の請求権があるとして、また、(2) 旧日本軍の従軍慰安婦施設の設置、管理、維持、従軍慰安婦に対する集団的強姦行為は、民法上の不法行為に当たるとして、被控訴人に対して、それぞれ謝罪と損害賠償の請求をし、さらに、(3) <1>政府関係者の国会答弁やマスコミに対する発言(当審で追加された請求原因)等において旧日本軍の慰安婦制度に対する関与と強制性を否定する発言がされたことにより控訴人の名誉が毀損されたこと(名誉毀損)、<2>被控訴人が国家責任があるにもかかわらず責任者処罰を行なっていないこと(処罰義務違反)、<3>何ら補償立法を行なわずに放置していること(立法不作為)を理由に、国家賠償法(昭和二二年一〇月二七日法律第一二五号)一条、四条に基づき、謝罪と損害賠償を請求した事案である。
第一審は、国際法の原則的法理によれば、(1) 控訴人の主張する国際慣習法の成立は認められず、強制労働条約等に基づく個人請求権を行使する余地はなく、カイロ宣言、ポツダム宣言及びサンフランシスコ平和条約に基づいて個人請求権を行使することはできないことを挙げて国際法、国際慣習法に基づく控訴人の謝罪と損害賠償請求を退け、(2) 旧日本軍の権力的作用による行為については私人の損害賠償請求は許容されていないとして、民法に基づく謝罪と損害賠償の請求を退け、(3) 従軍慰安婦に関する国会質問に対する労働省職業安定局長らの発言は、その内容から控訴人ら従軍慰安婦に対する名誉毀損には当たらず、国内刑事手続法の法意に照らせば、被害者などの私人に対して加害者の国が処罰義務を負うものではないので、処罰義務違反があるとはいえず、控訴人ら従軍慰安婦に対する補償立法に関する立法をしないことが違法とはいえないとして、国家賠償法に基づく謝罪と損害賠償の請求を棄却した。
なお、控訴人は、当審において損害賠償請求の額を一億二〇〇〇万円から一二〇〇万円に減縮した。
第三争いがない事実など判断の前提として認定される事実
争いがない事実、原告に関して認定される事実など判断の前提となる事実の認定判断は、次のとおり補正するほか原判決「事実及び理由」欄の第三のとおりであるから、これをここに引用する。
原判決一二頁一一行目の次に行を変えて次のとおり加える。
「8 終戦の後、控訴人は旧日本軍人であった井田金作とともに漢口の旧日本租界でしばらく生活していたが、一九四六年(昭和二一年)春に引き揚げ船で博多に上陸し、井田とともに埼玉県深谷市の井田の実家へ到着した。しかし、ほどなくして井田と別れ、東京の上野に出たが、困窮して自殺未遂を犯し、知り合った男から紹介された河再銀(日本名 河本幸市)を頼って宮城県牡鹿郡女川町に移り住んだ。河再銀とは夫婦とはならなかったが、ともに女川町の現住所で生活し、河再銀の死後は一人で生活している。」
第四争点
争点と当事者の主張は、次のとおり補正、付加するほか原判決「事実及び理由」欄の第四のとおりであるから、これをここに引用する。
一 補正
1 原判決二二頁七行目の「被告も、」を「戦前の日本は、この条約に加入しなかったが、それ以前の」に改め、同三九頁二行目と三行目との間に次のとおり挿入する。
「(7) 以上により、国際機関への前記各報告書及び各条約の趣旨から、国際慣習法の成立が認められるのであり、控訴人は、これらの国際慣習法に基づき、被控訴人に対して直接に謝罪と損害賠償を請求することができる。」
2 原判決四二頁九行目と同一〇行目の間に次のとおり挿入する。
「旧日本軍がこのような『従軍慰安婦』制度を戦争遂行のために企画、立案、実行したことは、組織的集団的強姦というべきものであるが、女性の性、人格を組織的、反復的、常時的に蹂躪する重大な人権侵害であり、これらの違法行為は、控訴人に対する不法行為となる。」
二 当審において付加した主張
1 控訴人
(一) 国際法又は国際慣習法に基づく国家責任の追及は、国家間の義務ではあるが、その国家責任ないし国家の義務は、被害回復義務であって、その中には被害を受けた個人に対する回復も含まれる。このような国際的な被害回復義務は、第一次的には、国内的手続を通じて実現される。外交保護権に関する国際法上の「国内的救済完了の原則」によれば、個人の被害は、まず加害国の国内裁判所における救済が尽くされなければならない。このような個人は、これを加害国の国内裁判所において民事上の請求権の行使をすることができることは国際法上の建て前であり、控訴人は、これに従って本件請求権を行使しているのである。この場合、当該国際法又は国際慣習法の趣旨を具体化した国内法がなければ、直接国際法又は国際慣習法に基づいて被害救済を請求することができるのである。また、国内法に基づいて請求する場合には、その国内法は国際法に合致するように解釈されなければならない。したがって、日本民法に基づいて被害の救済を行う場合には、不法行為法についての「国家無答責」や時効・除斥期間について従来の解釈の変更が求められるのである。
個人が国内裁判所で救済を受けられない場合は、国際法上の国家責任が解除されない状態が継続する。国際法上の国家責任の解除は、国際法上の義務であり、立法・行政・司法がそれぞれの義務を果たさなければならないのである。これらの義務の懈怠は、さらに国際不法行為として国家責任を生じさせる。
控訴人に対する旧日本軍の行為は、国際法上、<1>奴隷条約違反、<2>強制労働条約、<3>人道に対する罪に関する国際慣習法違反、<4>醜業条約違反、<5>通常の戦争犯罪についての国際法違反の主張をするものであるが、これらの違反により、被控訴人には国家責任の発生要件である国際不法行為が成立している。国家責任が国家間の義務であるとしても、第一次的には国内的に実現されるべきものである。
(二) 「従軍慰安婦」に対する性的強制が強制労働条約にいう強制労働に当たることは、これを成立させた国際労働機関(ILO)の条約適用に関する専門家委員会によって認められている。また、強制労働条約の各条項は、極めて具体的、明確、詳細であり、国内労働法以上である。右条約が個人の請求権を具体的かつ詳細に規定していることは明らかであり、右条約の自動執行性には問題がない。
(三) また、カイロ宣言を含むポツダム宣言の受諾、日本国との平和条約及び関係文書(昭和二七年条約第五号。以下「日本国との平和条約」という。)により、日本の朝鮮に対する違法な植民地支配が否定され、朝鮮が独立するに至ったことにより、朝鮮人が日本植民地下における権力作用による不法行為により被った損害につき、損害賠償請求権を有すると解することができる。なお、一九六五年に締結された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(昭和四〇年条約第二五号。以下「日韓基本関係条約」という。)、並びに「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定」(昭和四〇年条約第二七号。以下「日韓請求権協定」という。)において、両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権の問題は、日本国との平和条約四条aに規定されるものを含めて完全かつ最終的に解決された(日韓請求権協定二条1項、3項)。しかし、右協定におけるその国民の財産、権利及び利益については、所属国の外交保護権が放棄されたものにすぎないうえ、控訴人などのような在日韓国人の請求権は、右の完全かつ最終的な解決から除外されている(同協定二条2項)。
(四) 民法不法行為責任の除斥期間について
被控訴人は、国際犯罪、国際違法行為に該当する本件加害行為につき、国際社会に対して被害回復責務を負うところ、この国際法上の被害回復の義務は、時の経過によって解除されるものではないから、被控訴人は現在も国際法上の責任を負い、除斥期間に関する解釈もこの国際法規に適合するように解釈されるのである。したがって、控訴人の被控訴人に対する請求権には除斥期間の適用はない。
(五) 名誉毀損について
(1) 清水労働省職業安定局長らの国会での発言は、体裁上の調査結果をその段階ごとに述べているものにすぎないように見えるが、慰安婦関係の資料を掌握している機関の長が当時でき得る限りの調査の結果として述べているものであるから、「国の関与はなかった、強制連行はなかった。」というものと理解するのが一般的な理解というべきである。したがって、右の国会答弁は依然として控訴人に対する名誉毀損を構成する。
(2) さらに、<1>平成六年(一九九四年)五月四日永野茂門法務大臣は共同通信社のインタビューに対して「(従軍慰安婦は)時の公娼であった。」と発言し、<2>平成八年(一九九六年)六月四日奥野誠亮衆議院議員は、記者会見で「(従軍慰安婦は)商行為に参加した人たちだ。」と発言し、<3>平成九年(一九九七年)一月一三日江藤隆美衆議院議員は、歴史教科書への従軍慰安婦の記述に関して、「いつどこで日本の官憲が強制連行したという事実が明らかになっているのか。」と発言して強制連行はなかった旨の発言をし、<4>平成九年一月二五日梶山静六内閣官房長官は、「今、従軍慰安婦問題で騒いでいる人たちは、当時の公娼制度を知らずに言っている。当時は公娼制度が厳然としてあった。」と従軍慰安婦は公娼であった旨の発言をし、<5>平成九年二月六日島村宣伸衆議院議員は、「おおむね現地の女衒が一役買って、中国の人なり韓国の人なりが集めていた。本人の意思で望んでそういう道を選んだ人たちがいる。」と発言し、<6>平成一〇年(一九九八年)八月中川昭一農相は、「総じて強制であった」とした政府談話について「事実でない可能性が高いのに政治、外交に翻弄されている。」「当時は強制連行の事実もないし、従軍慰安婦という言葉もなかった。」と発言した。これらの被控訴人の政府高官、衆議院議員等の発言によっても控訴人の名誉が毀損されている。
(六) 立法不作為の不法行為
本件は、国際法又は国際慣習法に違反する被控訴人の国家責任の解除に関する事案であり、慰安婦の人権の保障に関するものであって、国際法上の立法義務があることは明らかである。被控訴人の立法義務の根拠は、国際法上の被害回復義務であるから、手続上の手段の立法問題だけではない。
2 被控訴人
(一) 「国内的救済完了の原則」は、被害者の国籍国が外交保護権を行使するためには、その前に加害国の実体法に基づく国内的救済を尽くすべきであるとする原則であり、このことは、被害者が加害国に何らかの実体的な請求権を有しているか否かとは別の問題である。
(二) 控訴人の主張する国際法の国内適用は、そもそも、個人が国内裁判所で国際法上の国家責任を追及し得る国内法がある場合の問題であり、そのような国内法がない場合には、前提を欠くこととなる。
(三) 日韓基本関係条約等における解決
日韓請求権協定二条1項は、「両締約国は、両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びにその国民の間の請求権に関する問題が……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」としたが、同条2項(a)は、「一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益」を除外している。したがって、控訴人ら在日韓国人については「財産、権利及び利益」は完全かつ最終的に解決されたとはいえないが、「請求権に関する問題」は完全かつ最終的に解決されたことになる。右日韓協定二条にいう「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づくすべての実体上の権利をいい、「請求権」とは、実体的権利ではないいわゆるクレームを提起する地位をいうものと解釈すべきことは両国間で合意されている。控訴人の本件請求は、法律上の根拠に基づく実体的権利ではないから、右の「請求権」に該当し、日韓協定二条1項により完全かつ最終的に解決されている。
(四) 除斥期間について
控訴人は、日本が国際社会に対して負う被害回復義務は、時の経過によって解除されないから、控訴人の請求権について時効、除斥期間の適用は排除されると主張するが、被控訴人が負うとされる国際社会に対する被害回復義務なるものの法的性質は全く不明であり、これを認める余地はない。控訴人が主張する国際法はいずれも被害者個人に加害国に対する直接の損害賠償請求権を認めたものではない。除斥期間の適用を排除して、民法の適用領域を拡大することは、国家賠償法の立法にも等しい結果をもたらすことになり、法律解釈の範囲を超えるものである。
(五) 立法不作為の違法の主張について
控訴人が主張する立法不作為の違法は、国際法上の被控訴人に対する被害回復立法義務に違反するという点でも主張されているが、控訴人の主張する各条約の規定において、被害者個人に対して国家が被害回復をしなければならない旨の一義的かつ明白な規定が存在しない。また、国際慣習法から被控訴人に立法義務が生ずると解することも、控訴人の主張する国際慣習法上、控訴人に対する被害回復を一義的かつ明白に義務付けている国際慣習法は存在しない。
第五当裁判所の判断
一 国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否について(争点1)
1 国際法における一般原則
国際法は、沿革的には国家と国家又は国際機関等との法律関係に関するものであるから、国際法による規律は、本来的に国家と国家又は国際機関等を拘束するものであり、国際法上の法主体性は、原則として国家又は国際機関に認められるものであることは当然である。しかし、そのことは、個人が国際法上の権利ないし利益を、条約に基づいて直接又は反射的に取得する余地がないということを意味するものではない。例えば、生命、身体、財産等の個人的利益を保護することを目的とする条約においては、これを締結批准した国家は条約の国内的な実施を義務付けられ、右の条約上の個人の権利、利益を侵害してはならないとの条約上の義務が生ずる。我国においては、憲法九八条二項は批准公布された右のような条約を一般的に受容するものであり、この場合国内の行政、司法機関は原則として直接条約により、刑事上の法益侵害の判断基準や民事上の違法判断基準その他の法的判断基準として適用すべきものと解されるが、右のような個人の権利義務に直接影響するような条約において、条約上個人にその法主体を認め、その権利、利益の個別的具体的確保のための実現手続を保障している場合などは、条約の効果として、保護された条約上の権利ないし利益を享受し得るという意味で、条約上の権利義務の主体となり得ると解される。しかしながら、国家が外国人の生命、身体、人格、財産を、条約等に違反し国際法上不法に侵害した場合、回復されるべき被侵害法益は当該外国人個人の法益ではなく、その外国人の所属する本国である外国の被侵害法益が回復されるべきものであり、その外国に対し侵害した法益を回復すべき義務を負い、それを履行することによって国際法上の国家責任が解除されるものである。右の国際法上の国家責任の解除の方法としての被侵害法益の回復の仕方には、原状回復、損害賠償、陳謝等であり、陳謝には口頭又は書面による謝意の意思表示をすることだけにとどまらず、違反行為の否定的認証や是正処分、責任者の処罰等、再発防止についての将来に対する保障なども含まれるが、当事国の合意で国際裁判に付託されたときは、その解除の方法は、その判決の示すところによって決まり、関係当事国の外交交渉による場合は国家責任の解除の手段は、当事国の合意によって決まるべきものであり、直接の被害者である外国人個人に対し、加害国が賠償金を支払ったり陳謝の意思表示をするべきかどうか、賠償金の支払をする場合の手順、金額、実現方式なども当事国の合意により決められた場合や範囲に限られる。結局、右のような条約によって、国際法上の国家責任を負った国がその国家責任の解除のためにどのような措置をとるべきか、その解除措置の一態様として個人が個別的、具体的にどのような形態で権利、利益を有するかは、その個別条約自体の解釈上の問題であると同時に、関係当事国の外交交渉による合意や条約を受容する国家の権利、利益の実現を図る国内法秩序との整合や法の執行面など国内法的措置によって定まることである。
2 控訴人が主張する国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求について
控訴人が本件につき、適用すべき国際法として主張するものは、<1>奴隷条約とこれに関連する国際慣習法、<2>強制労働条約、<3>人道に対する罪に関連する国際法及び国際慣習法、<4>醜業条約、<5>戦争犯罪に関する国際法及び国際慣習法であるとし、これらを総じて被控訴人には国際不法行為が成立すると主張するので、順次これらの条約や国際法等によって控訴人が被控訴人に対して有する国際法等に基づいて直接個人的請求権を取得するか否かについて判断する。
(一) 奴隷条約とその国際慣習法
奴隷取引の禁止は国際連盟規約二二条に存し、国際連盟は、一九二二年に委員会を設置して奴隷制に関する問題の調査を行い、一九二六年に奴隷条約が採択され、翌年から発効した。<証拠略>によれば、日本はこの条約を批准しなかったが、<証拠略>によれば、それ以前から明治政府は、基本的に奴隷制度を容認せず、奴隷条約の内容と概ね同様の施策を実施し、その内容についての法的確信を有していたものと認められる。また、一九四八年の世界人権宣言第四条においても「何人も奴隷の状態又は隷属状態に置かれない。」と規定されていることが認められる。一般に国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(国際司法裁判所規程三八条一項b)を指すとされており、これが成立するためには、諸国家の行為の積重ね(国家実行)を通じて一定の国際慣行が成立し、それを法的義務として確信する諸国家の法的確信が存在することが必要であると解されるが、この観点で見ても、日本が批准しなかった奴隷条約が諸国家において実行され、日本を含め諸国家においてこれを法的なものとする確信が存在した限りは、これを国際慣習法と認めるのが相当である。
したがって、奴隷条約が発効した後においては、これとほぼ同一内容の国際慣習法が成立していたと認めるのが相当である。また、<証拠略>によれば、各国の奴隷取引の禁止の措置は一九世紀初頭から始まり、右の奴隷条約を経て二〇世紀の半ばころまでには国際慣習法上のユス・コーゲンス(強行規範)となっていたことが認められるから、そのような強行性の高い国際慣習法として日本をも拘束していたものと認めるのが相当である。
しかしながら、奴隷条約においては、奴隷制度を「その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。」(第一条)と定義しており、条約の内容は、締約国に奴隷取引の防止及び禁止の義務を課し、奴隷制度の廃止の実現を義務付け(第二条)、奴隷取引を禁止するための措置を取るべきことを約束し(第三条)、この条約目的のために制定された国内法違反に対する処罰義務を課す(第六条)ものであるから、この内容の限りでは、明らかに参加した国の国家義務を定めたものと認められる。これに違反した国家には、国際法上の国家責任が生ずるものと解されるが、個人が右国家責任を追及し得るとか、被害者たる個人に対して補償すべき内容が規定されているわけではないし、被害者たる個人が右の加害者の属する国家に対して直接賠償請求権を取得すると解すべき条項もない。このような奴隷条約の内容に照らし、一九二七年当時成立していたとされる国際慣習法の拘束力も同様のものであったと認められる。
したがって、この奴隷条約に関する国際慣習法上、被害者たる個人が義務違反をした国家に対して、個別的、具体的に損害賠償請求権を有するものであると当時解釈されていたとまで認めることはできない。
<証拠略>によれば、国連人権委員会の特別報告者であるラディカ・クマラスワミによる「人権委員会決議一九九四/四五にもとづく『女性への暴力に関する特別報告者』による戦時の軍事的性奴隷制問題に関する報告書」(一九九六年〔平成八年〕。以下「クマラスワミ報告書」という。)は、第二次世界大戦中に旧日本軍によって設置されたいわゆる慰安所制度が国際法上の義務に違反したとし、従軍慰安婦を「軍事的性奴隷」と論じていることが認められ、<証拠略>によれば、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会の特別報告者であるゲイ・J・マクドゥーガルによる最終報告書「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行」(一九九八年〔平成一〇年〕。以下「マクドゥーガル報告書」という。)も旧日本軍の慰安所の強制的売春を強姦と、従軍慰安婦を事実上の奴隷であると論じていることが認められるが、これらの各報告書中、クマラスワミ報告書は、奴隷条約上の奴隷と関連付けたうえで、従軍慰安婦がこれに当たるとの結論を出しているものではない。しかし、これらの報告書から、従軍慰安婦の実態については、奴隷状態類似の重大な人権侵害行為があったものと推認することができる。
しかしながら、奴隷条約に関する国際慣習法の適用に際しては、そこでいう奴隷の定義を無視することはできず、前記認定のとおり、従軍慰安婦が当時成立していたと認められる奴隷条約に関する国際慣習法上の奴隷に当たるとは認められず、仮にこれに該当するとしても、これに対する禁止措置、処罰義務等の国際慣習法の国家義務を怠ったことになる被控訴人に対して、従軍慰安婦個人が直接国内法手続で損害賠償請求権を行使することができるという国際慣習法が成立していたとまでは認めることができない。
このようにして、奴隷条約ないしその国際慣習法に基づき、控訴人が被控訴人に対して直接請求権を有すると解することはできない。
(二) 強制労働条約による請求権について
強制労働条約は、一九三〇年に国際労働機関(ILO)総会で採択され、日本は一九三二年にこれを批准したものであるが、第一条において「本条約を批准する国際労働機関の各締盟国は……一切の形式における強制労働の使用を廃止することを約す。」とあることからも明らかなように、専ら国家の義務を規定するものということができ、国家又はその権限ある機関に、私人による強制労働についてもこれを廃止し又は強制労働に制限を加えようとするものであるが、一方では、強制労働に対しては「通常行ハルル率ヨリ低カラザル率ニ於テ現金ヲ以テ報酬を与ヘラルベシ」(第一四条)と規定するから、賃金に関しては個人の請求権を規定するものと解することができる(なお、労働災害については、第一五条において、実施することができる国内法を強制労働にも適用すべしとするに止まるから、必ずしも個人請求権を直接規定したものとはいえない。)。しかし、この条約が個人の賃金請求権を規定したからといって、条約違反によって生じた個人の賃金以外の一般的損害についても、国家責任の内容として個人に対する賠償義務があると解することは必ずしもできない。
したがって、控訴人が従事した前記認定の従軍慰安婦の労働が強制労働条約の禁止する強制労働に該当し、被控訴人に右条約違反による国際法上の国家責任が成立すると解する余地はあるものの、控訴人が右の条約に直接基づいて、被控訴人に対して条約上認められた賃金以外の一般的損害につき賠償請求権を行使することができると解することができない。控訴人は、国際法上の国家責任の賠償内容には当然に個人の損害が含まれることに照らしても、個人による直接的な国際法上の国家責任の追及として賠償請求権を行使することを認めるべきであると主張するが、強制労働条約の解釈として、そこまでの個人の請求権を認めたものとは解されない。
そうすると、強制労働条約に基づく控訴人の請求も理由がない。
(三) 次に、醜業条約に関する国際法と国際慣習法に基づく請求について判断する。
醜業条約は、一九〇四年の「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際協定」によるものであり、日本は一九二五年にこれに加入し、同年醜業条約、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」に加入した。もっとも日本は、醜業条約を植民地に適用する旨の条約上の通告をしていないから、当時の朝鮮については、適用がないと解すべきであるが、前記認定事実によれば、控訴人は、朝鮮において朝鮮人ブローカーないし公娼業者と推認される業者から勧誘されたものの、右条約が禁止する醜業に就いたのは中国大陸であり、当時は日本国籍を有していたと推認される業者と旧日本軍の管理下において、慰安所における業務に従事し、厳しく逃避、逃走が禁止されていたのであるから、そこでも「勧誘、誘引、拐去」(第一条)があったものと認められ、控訴人が従事した従軍慰安婦の労働は、醜業条約の適用対象となる「醜業」であったと認めることができる。
しかしながら、醜業条約は、強制手段であろうと本人の承諾を得た場合であろうと、他人の情欲を満足させる為に未成年の婦女を醜業に就かせる行為を「処罰セラルヘシ」として刑事罰の対象とすることを規定し(第一、第二条)、締約国は、現行国内法が不十分な場合は立法措置を講ずることを約束する(第三条)内容となっているから、基本的には、国家の処罰義務、立法義務を合意したものと解され、右条約に違反する国家が個人に対して直ちに一般的損害賠償義務を負うとの国内実体法と同様の効力を有するとは解することができない。これに違反した締約国は、右条約による国際法上の国際的国家責任を負うに止まるものと解される。
したがって、醜業条約違反を根拠とする控訴人の請求も理由がない。
(四) 戦争犯罪に関する国際法ないし国際人道法等による請求について
(1) 人道に対する罪に関する国際法ないし国際慣習法の違反による請求権について
控訴人が主張する人道に対する罪とは、人、殲滅、奴隷化、追放及び戦争前又は戦争中に犯されたその他の非人道的行為であり、武装紛争における行動と武装紛争の犠牲者の保護の原則に基づくものであって、「赤十字条約」(一八六四年)にその淵源を有し、「戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル条約」(一九〇六年〔明治三九年〕)、「戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル千九百二十九年七月廿七日のジュネーヴ条約」、又は一九〇七年(明治四〇年)の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(明治四五年条約第四号。以下「ヘーグ陸戦条約」という。)及び「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」(以下「ヘーグ陸戦規則」という。)などが確立された「国際人道法」と総称されるものであると認められる。
確かに、ヘーグ陸戦条約三条は、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ損害アルトキハ、賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス」と規定し、ヘーグ陸戦規則四六条には「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ之ヲ尊重スヘシ」とする規定があるから、交戦当事者たる国家又は団体は、個人の損害についても損害賠償の責任を負うべきものと規定されていると解されるが、これらの規定の趣旨は、交戦による戦争損害に関するものであると解され、したがって、損害賠償を行うべき相手方も、他方交戦当事者である国家又は団体であると解される。控訴人の本件請求の趣旨内容からも明らかなように、控訴人の被害は、旧日本軍の交戦によって生じたものではなく、いわば旧日本軍の内部的違法行為に類するものであるから、これについてまでヘーグ陸戦条約の各規定が及ぶものとはいえない。
また、人道に対する罪は、ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例第六条、極東国際軍事法廷条例第五条(一九四六年一月一九日)等によっても実施されていると認められる。これらの軍事裁判所に関する国際法規についても、国際慣習法が成立していると認めることができるが、これらの軍事裁判所における罪は、先の大戦における重大戦争犯罪の処罰のために設けられたものであり、<証拠略>によれば、人道に対する罪とは、「戦前又は戦時中為されたる殺戮、殱滅、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、若しくは政治的又は人種的理由に基づく迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又はこれに関連して為されたもの」(第五条)という犯罪であると認められる。しかし、この規定は明らかに犯罪構成要件を明示するものであり、個人処罰を目的とするものであったと認められる。したがって、これに関する国際慣習法が成立しているとしても、これに拘束される国家が、個人を国際裁判所の処罰に服させる義務を負うという国家責任が成立するに過ぎないと解される。したがって、右の国家責任の内容として、直ちに人道に対する罪の被害者にこの国際慣習法に基づいて国家に対する賠償請求権が付与されたと解すべき根拠になるとはいえない。
したがって、この国際慣習法に基づいて賠償請求をする控訴人の主張も理由がない。
(2) カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に基づく請求について
控訴人は、カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に示された朝鮮に関する規定は、日本国に対し、有効とは認められない日韓併合条約によって植民地化された朝鮮の独立の承認だけでなく、植民地支配下で奴隷状態に置かれていた朝鮮人民個人が被控訴人の国家権力の不法行為により受けた被害を回復する義務をも課したものであると主張する。
しかしながら、日本国と交戦していた連合国のうちの主要国であったアメリカ合衆国、イギリス及び中国の三か国の首脳が、第二次世界大戦中にカイロにおいて会談し、対日講和条件に関して協議してその結果を宣言したのがカイロ宣言であり、同宣言には、「各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。」、「同盟国の目的は、千九百十四年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満州、台湾及び膨湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。」、「前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。」との文言があるが、それ以上に朝鮮又は朝鮮人民の請求権について触れた文言はない。
そうすると、同宣言は、当時日本国が支配していた満州、台湾等の地域の返還、朝鮮の独立など、対日講和条件のうち主として当時日本国の領土とされていた地域の処理に関する三か国の基本方針を表明したものであるというべきであり、それ以上に同宣言が日本国に朝鮮人民個人に対する損害賠償等の義務を負わせたものと解することはできない。
したがって、同宣言を受けて発せられたポツダム宣言八項の「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく」との文言の趣旨も、三か国がカイロ宣言により宣明した右基本方針を履行されるべく、朝鮮の独立などを日本国に要求する趣旨のものであると認められる。
さらに、ポツダム宣言を受けて締結された日本国との平和条約二条(a)の「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」との文言も、同様に、日本国の条約上の義務として朝鮮の独立などを締結国との間で約束したにとどまり、同平和条約はその第五章において請求権及び財産について規定するが、同条約第二一条によって朝鮮が同条約の利益を受ける権利を有するとされているのは、同条約第四条(日本国が領土権を放棄した地域の財産の処理)、第九条(漁業協定)及び第一三条(通商航海条約)に関するもののみであって、連合国の請求権及び財産についての諸条項は、原則として連合国でなかった朝鮮には適用されず、同条約第二六条にいう二国間平和条約による処理に委ねていたものと解するほかはない。すなわち、右平和条約は、控訴人が主張するような日本に対する朝鮮人民の損害賠償請求権の直接の根拠となるものと解することは到底できない。
なお、日本国及び日本人と韓国及び韓国人との間の植民地支配その他の第二次世界大戦中の法益侵害等に関する日本国の国際法上の国家責任は、後述のように、昭和四〇年一二月一八日に発効した日韓基本関係条約、日韓請求権協定(財産及び請求権に関する解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)により、日韓両国とその各国民が相手方国とその国民に対する実体的請求権(財産、権利、利益)を、相互に放棄するものとされ、日韓両国においてそれぞれ国内法の措置を取ったことにより、大韓民国とその在住国民に対する日本の国際法上の国家責任は解除されていると認められる。
(五) 国連人権委員会における各報告書について
なお、控訴人は、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会に提出されたファン・ボーベン報告書を前記内容の国際慣習法が成立した根拠として援用している。
<証拠略>によれば、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会は、一九八九年(平成元年)の決定に基づいて、国際法学者であるファン・ボーベンは研究を進め、人権小委員会に対し、一九九〇年(平成二年)に予備報告書を、一九九三年(平成五年)に最終報告書をそれぞれ提出したところ、これらファン・ボーベン報告書には、重大な人権侵害に当たる行為の類型とその被害回復についての提言があり、その内容は、国際法の下で、いかなる人権侵害も被害者の被害回復に対する権利を発生させるとの一般原則を提示し、被害回復についての権利が個人にも与えられるべきであると提案するものであることが認められるが、被害を受けた個人が直接に加害国に対して損害賠償等を請求し、加害国がこれに応じて被害者個人に対して直接に損害賠償等を行ったというような具体的事例が多数あって、それが国際慣習法として成立していることを認めさせるものではない。また、右報告書は、「III 国家責任」の項において、「伝統的な国際法によっては、加害国は国家間レベルにおいて被害国に対してその行為の責任を負う。(中略)伝統的な国際法によっては、損害を受けた主体は、その個人あるいは個人集団でもなく、その個人または個人集団が国民であるところの国家なのである。この点において、国家は加害国から損害賠償を請求することができるが、被害者自身は、国際的な請求を持ち出す立場にない。」として、国際法の一般原則に則した国家責任の法理を述べ、個人の国際法上の法主体性を肯定するのが国際法のこの分野における通説的見解ではないことを示している。
さらに、<証拠略>によれば、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会がファン・ボーベン報告書を求めるについてした決議の内容は、「人権と基本的自由の重大な侵害の被害者が、国際的なレベルで適切とされ完全に認められた原状回復、賠償及び更生を受ける実施可能な権利を持つことを確保するために、国際的な基準をさらに発展させ、現存するギャップを埋めることの重要性を考慮し、小委員会メンバーの一人であるテオ・ファン・ボーベン氏に人権と基本的自由の重大な侵害の被害者が原状回復、賠償及び更生を受ける権利に関して研究を行う任務を委託する。」という趣旨のものであることが認められる。
そうすると、ファン・ボーベン報告書は、先進的ではあるものの未だ一般的実施の慣行と法的確信の伴わない提言内容を、将来にわたって国際法又は国際慣習法として確立させようとするものであると認められるから、同報告書の提言内容が同報告書が人権小委員会に提出された時点で国際法上国際慣習法となっていたとまで認めることはできないし、まして、控訴人が従軍慰安婦に従事した一九三八年(昭和一三年)から一九四五年(昭和二〇年)までの間において、同様の諸原則が国際慣習法として確立していたとは到底いえない。
また、クマラスワミ報告書は、<証拠略>によれば、被控訴人に対して従軍慰安婦の措置が国際法上の義務に違反したことの承認とその違反の法的責任を受諾することなどを勧告したものであり、大韓民国、日本国を訪問するなどして関係者から事情聴取をしたうえで、旧日本軍により設置された慰安所における従軍慰安婦が軍事的性奴隷であるとし、ファン・ボーベン報告書の見解を引用し、同報告書が提言した原則に従い、被害者個人に対する賠償がされるべきことを勧告するものであると認められるから、クマラスワミ報告書によっても、控訴人が従軍慰安婦に従事していた当時、右勧告と同様の個人に対する国の損害賠償責任を認める一般的国際慣習法が成立していたと認定することができない。
したがって、控訴人の提示する国連人権委員会の各報告書は、日本国の国際法上の国家責任があることを指摘し、その責任の解除の方策として被害者個人に対する日本国の補償を勧告ないし提唱するものではあるけれども、これによっても、なお控訴人の本件請求に適用すべき国際慣習法が成立していたものと認めるには足りないうえ、日本と韓国との間の日韓基本関係条約、日韓請求権協定などの合意による日本の国際法上の国家責任の解除の効力を否定し得るような優越的効力を有するものではない。
(六) 国際不法行為についての加害国家の被害救済による国家責任の解除義務の主張について
控訴人は、被控訴人に以上の国際法又は国際慣習法に違反することにより国際不法行為が成立し、加害国家はその国家責任を解除する義務があり、そのために被害救済をすべきであり、右不法行為の被害者個人が加害国の国内裁判所における民事訴訟手続において、直接賠償請求権を行使することができる(自動執行性がある)と主張する。
前記認定のとおり、控訴人ら従軍慰安婦の設置、運営については、当時の日本を拘束した強制労働条約、醜業条約に対する違反行為がある場合もあったと認められ、それぞれ条約違反による国際法上の国家責任が発生していると認められる。その国際法上の国家責任を解除するために、日本国は、国際的不法行為をした慰安所経営者、それに加担していたと見られる旧日本軍関係者に対する処罰や是正措置、被害者救済措置等を命ずる等の処分をする義務が生ずるが、日本国が右の国家責任を解除するための措置を実現させなかったとしても、そのことが重ねて国家自身の国際不法行為となるものではない。したがって、控訴人の右主張は容認できない。
(七) まとめ
以上のとおりであり、国際法に基づく控訴人個人の被控訴人に対する直接的な国家責任の追及としての謝罪及び損害賠償請求はいずれも理由がない。
二 民法に基づく謝罪及び損害賠償請求権について(争点2)
1 昭和二二年に施行された国家賠償法は、公権力の行使等による損害の賠償に関する国又は地方公共団体の責任を定めるものであるところ、その附則六項は、同法施行前の行為に基づく損害についてはなお従前の例によると規定しているから、右法律の施行前の公権力の行使等による損害については、旧行政裁判法一六条の規定(「行政裁判ハ損害要償ノ訴ヲ受理セス」)により、公務員の公権力の行使に起因する不法行為等の賠償請求の訴えは、行政裁判手続による権利保護要件を欠くものとしてこれを許容されず、判例上も公権力の行使等公権力作用による損害については民法の不法行為の適用はないことが法理として確立していた(いわゆる国家無答責の原則)。しかしながら、公務員の非権力作用である私経済活動による損害については、なお、民法による損害賠償法理の適用はあり得るものである。
2 そこで、控訴人の従軍慰安婦として受けた被害についての被控訴人の不法行為責任について判断する。
<証拠略>によれば、旧日本軍においては、昭和七年(一九三二年)のいわゆる上海事変の後ころから、旧日本軍占領地域内での住民に対する強姦行為等の防止と反日感情の醸成防止のために、軍の管理する土地に軍人専用の慰安所の営業を許可し、これを軍専属のものとして兵士等に利用させていたところ、従軍慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに従軍慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例もみられたこと、旧日本軍は、業者と従軍慰安婦の輸送については、特別に軍属に準じて渡航許可を与え、日本国政府は従軍慰安婦に身分証明書の発給を行っていたこと、慰安所の多くは旧日本軍の開設許可の下で民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍による直接経営の例もあり、民間の経営者に対しては、旧日本軍による慰安所の施設の整備、慰安所の利用時間、利用料金、利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、管理及び維持への直接関与があったこと、控訴人は、一九三八年(昭和一三年)、結婚に失敗した後の数え年一七歳のころ、初老の朝鮮人女性に「御国のために戦地に行って働けば金がもうかる。」、「結婚なんかしなくても一人で生きていける。」などと勧誘され、その仕事の内容の詳細を知らずに、同様に勧誘された多数の女性とともに、ブローカーと推認される朝鮮人男性に連れられて、中国大陸の武昌の旧日本軍陸軍慰安所に入り、支度金名目の借入金などで事実上自由を拘束されて、その意思に反して慰安所を経営する業者によって従軍慰安婦となることを強要されて、結局その労働に就くこととなったこと、控訴人は、見知らぬ土地の慰安所で厳しい管理の下で売春行為を続けされられ、左腕には「金子」の刺青が彫られ、売春行為の拒否と慰安所からの逃避には営業者による暴力的制裁が加えられるのが通常であり、安い賃金の下で長時間労働と月に一回程度の極端に休暇の少ない生活を強いられたこと、客たる兵士の中にも暴力を振るう者がいるため、脇腹には匕首による刀傷が残り、殴打等により右耳も聞こえなくなっていること、軍が作った慰安所規則では兵士には避妊具の使用が義務付けられていたが、控訴人は二回にわたって妊娠し、一度目は死産、二度目は出産できたものの子を育てることはできない状態であり、養子に出さざるを得なかったこと、妊娠したことにより、漢口の海軍慰安所に移転し、さらに岳州、応山、長安、蒲圻、咸寧等の各慰安所に移され、昭和二〇年八月の終戦の後は現地に放置され、旧日本軍兵士であった井田金作とともに昭和二一年の春に日本に引き上げてきたことが認められる。
右の事実によれば、控訴人の従事していた慰安所の設置は、戦地での旧日本軍兵士管理の一環として行われたものであって、旧日本軍と民間業者の関係は、軍の管理する土地における民間の慰安所経営者に対する営業許可という行政処分があったと認められるが、現実の慰安所における慰安行為ないし売春行為に旧日本軍の公権的監督が日常的に及んでいたとまでは認められず、旧日本軍と慰安所経営者との間には、慰安所の設備と営業を軍が専属的かつ継続的に利用するといういわば専属的営業利用契約に相当するいわゆる下請的継続的契約関係があったものと推認するのが相当である。また、民間業者と従軍慰安婦との関係は、従軍慰安婦に強制売春を強いる隷属的雇用関係であったと認められる。また、旧日本軍は、客となる兵士を対象として慰安所の利用規則を作成するなどして、慰安所の利用を事実上管理していたと認められるが、控訴人の所属していた慰安所の場合においては、従軍慰安婦との関係では、従軍慰安婦を直接徴用したとか、これに強制売春を強いるような直接の公権力関係又は契約関係があったと認めることはできず、また、控訴人自身が旧日本軍ないし日本国の機関によって慰安所に強制連行されたり、徴用されたと認めることもできない。
そうすると、控訴人らは、その意思に反して雇用主である慰安所経営者によって従軍慰安婦として雇用契約を締結することを強いられ、隷属的雇用関係の下で、慰安所の経営者及び旧日本軍の管理を受け、劣悪な労働環境の下で、日常的に長期にわたり旧日本軍人に対する強制的売春を強いられていたものであると認められるから、当時の公娼制度を前提として考慮しても、控訴人ら従軍慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、控訴人らの従軍慰安行為の強制につき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認される。そのような事例については、被控訴人に慰安所の営業に対する支配的な契約関係を有した者あるいは民間業者との共同事業者的立場に立つ者として民法七一五条二項の監督者責任に準ずる不法行為責任が生ずる場合もあり得ることは否定できない(なお、旧日本軍の慰安所ないし慰安婦に対する管理監督の関係が軍行政の公権力の行使と認められる場合には、国家賠償法の成立前には民法の不法行為等の規定は適用されないから、右のような不法行為責任を論ずる余地はないこととなる。)。
控訴人は、旧日本軍の慰安所設置とその運営は、従軍慰安婦に対する組織的、集団的強姦行為であったと主張する。前記認定事実によれば、その営業の方法は、当時の公娼制度を考慮しても、相当性を著しく欠くが、控訴人の従軍慰安婦としての労働は基本的には売春業者との雇用関係下における売春行為であったと認めざるを得ない。ただ、個々の場合の慰安婦の意思やその具体的態様において、強制的姦淫といわれても仕方がない事例もあったと認めざるを得ない(もっとも、控訴人は本訴において右のような個々の場合の不法行為を特定して主張ないし陳述している趣旨とは認められない。)。
したがって、被控訴人は、控訴人の昭和一三年から約七年間にわたる従軍慰安婦としての労働につき、個々的には民間営業者とともに、民法七〇九条、七一五条二項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。
3 被控訴人は、日韓基本関係条約と日韓請求権協定の成立により、控訴人の実体法的根拠を欠く請求権は、日韓請求権協定第二条により消滅したと主張する。
<証拠略>によると、昭和四〇年(一九六五年)に日韓基本関係条約とともに成立した日韓請求権協定は、日韓の国交正常化のための外交交渉の場で出されていた韓国側の「対日請求権八項目」の要求の個別的認定判断、試算などの困難を踏まえて、政治的な妥協の産物として日本による韓国に対する無償供与及び貸付けの形で処理することとして、その第一条は、その金額等を定め、その第二条1項は、両締約国とその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国とその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認し、同条3項は、「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって右協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることはできない。」としたから、大韓民国とその国民の財産、権利及び利益に関する実体法上の権利についての外交保護権が放棄されたに止まらず、これに対して日本国政府等がどのような措置をとるかを全面的に一任することを両国間で合意したものと解される。しかしながら、日韓請求権協定第二条2項(a)は、「一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益」を同条1項の「完全かつ最終的」解決及び同条3項の規定の対象からはずしているから、いわゆる同条2項(a)に該当する在日韓国人の財産、権利及び利益については、日韓請求権協定第一条の資金の無償供与及び貸付けによって、韓国政府が行う韓国民間人の対日請求権補償等の救済措置(韓国側では、この資金を請求権資金といい、「請求権資金の運用及び管理に関する法律」、「対日民間請求権申告に関する法律」、「対日民間請求権補償に関する法律」を制定し、この請求権資金の一部を用いて、一定範囲の徴用された韓国国民に対する補償を実施している。)の対象外とされ、日本政府の対応措置に委ねられたことになる。日本国政府は、右日韓請求権協定第二条を受けて、日本国内法である「財産請求権に関する解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年一二月一七日法律第一四四号。以下「財産権措置法」という。)を制定し、日本国と日本国民に対する大韓民国とその国民の債権を昭和四〇年六月二二日において法律上消滅させることとした。そうすると、在日韓国人の財産、権利及び利益については、日本国の財産措置法による法律上の消滅の対象にもなっていないものと解され、日本国の在日韓国人の財産、権利及び利益に対する対応措置は立法的に空白のままにされたのであるから、従来からの国内法秩序によって対応することになったものと解される(従軍慰安婦問題の国際的処理政策が国際法上の国家責任の解除の措置として相当であったか否かはともかくとして、その空白部分の政治的、行政的対応の一つが近年の「女性のためのアジア平和友好基金」による補償措置であると認められる。)。
前記認定のとおり、個別的事実を取り上げれば、控訴人は、旧日本軍の不法行為により被控訴人に対して民法七一五条二項による損害賠償請求権を取得したと認める余地もあるところ、控訴人は昭和二一年春に日本に引き上げ、以後日本に居住する在日韓国人であることが認められるから、控訴人の被控訴人に対する右の限度の損害賠償請求権は、日韓請求権協定の締結及び財産権措置法の制定にかかわらず、なお消滅することなく存続していた可能性がある。
4 除斥期間について
そこで、控訴人の損害賠償請求権の存続期間(除斥期間)につき検討するに、民法七二四条後段は、不法行為による損害賠償請求権は、不法行為の時から二〇年を経過したときに消滅すると規定するものであるが、前記認定のとおり、控訴人ら大韓民国の国民の日本における財産、権利及び利益については、これに関する権利関係は、昭和四〇年の日韓基本関係条約、日韓請求権協定の成立までは、その処理、権利等の実行の帰趨が確定していない状態にあったものと認められる。したがって、このような特別の事情があることにかんがみると、控訴人が遅くとも昭和二〇年八月一五日までに取得した可能性がある被控訴人に対する損害賠償請求権については、その除斥期間の起算日は、在日韓国人の財産、権利及び利益に関する実体上の権利が消滅することなく存続することが確定した日韓請求権協定の発効日及び財産権措置法の施行日である昭和四〇年一二月一八日であると認めるのが相当である。そうすると、控訴人の被控訴人に対する損害賠償請求権等は、昭和六〇年一二月一八日の経過により除斥期間の満了によって消滅したものと認められる。
控訴人は、前記認定の旧日本軍の不法行為責任については、国際法上の国家責任が生じており、その国家責任は、時効消滅又は除斥期間によって消滅することはないから、除斥期間の適用は排除されると主張するが、控訴人のいう国際法上の国家責任は、いずれも国際法ないし国際慣習法上の責任であり、個人がその条約上の国家責任を解除すべき義務の存在を理由に直接国内裁判所で損害賠償請求権を行使することができるものではないことは前示のとおりであり、また、右の国際法上の国家責任が継続することを理由に国内法秩序における個人請求権の消滅時効と除斥期間の適用を排除するという国際慣習法があると認めるべき証拠もないから、前記認定の控訴人の損害賠償請求権については、民法七二四条の除斥期間の適用を排除すべき理由はない。
三 名誉毀損、処罰義務違反及び立法不作為を理由とする国家賠償法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否について(争点3)
1 名誉毀損について
(一) 控訴人は、労働省職業安定局長清水傳雄(当時)の平成二年の国会答弁、同若林之矩の平成三年国会答弁、内閣官房長官加藤紘一の平成四年の発言は、従軍慰安婦に対する強制連行性を否定する趣旨のものであり、従軍慰安婦が任意に売春行為を行っていたと発言するものにほかならず、控訴人ら従軍慰安婦であった者に対する名誉毀損であると主張する。
(1) <証拠略>によれば、平成二年の労働省職業安定局長清水傳雄(当時)の参議院予算委員会における答弁内容は、「慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れ歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申し上げてできかねると思っております。」というものであり、平成三年の労働省職業安定局長若林之矩(当時)の参議院予算委員会における答弁内容は、「私どもといたしましては、朝鮮人従軍慰安婦問題という御指摘でございましたので調査をいたしましたが、当時、厚生省の勤労局あるいは国民勤労動員署というのがございまして、こういうところが動員業務を担当していたわけでございますが、当時そこに勤務しておりました者から事情を聴取いたしました結果、厚生省勤労局も国民勤労動員署も朝鮮人従軍慰安婦といった問題には全く関与していなかったということでございまして、私どももそれ以上の状況を把握できないということでございます。」というものであったと認められ、また、平成四年七月の内閣官房長官加藤紘一(当時)の発言の内容は、「募集の仕方について(強制連行を示す)資料は発見されていない。」というものであったと認められる。
(2) ところで、一般に名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価をいい、名誉毀損の成否は、一般人の通常の理解の仕方を基準にして、人の社会的評価が低下させられたかどうかによって判断されるべきであるが、この観点から検討すると、右の各労働省職業安定局長、内閣官房長官の国会における発言内容は、自由な議論の保障されている国会における発言であるから、特定の個人や団体に対する害意がない限り、違法性がないものであるうえ、いずれも、被控訴人による従軍慰安婦制度に関する調査結果を述べているものであり、軍とともに業者が従軍慰安婦を連れて移動していたようであるが明確な調査結果を出すことが困難であること、厚生省の勤労局、国民勤労動員署が関与していないこと、募集の仕方に関する資料が発見されていないことを明らかにするにすぎず、一般人の理解の方法によっても、その発言自体を名誉毀損行為であると認めることはできず、名誉毀損の故意に基づく発言であるとも認められないから、これについては、控訴人に対する名誉毀損は成立しない。
(二) また、控訴人は、その後も、複数の閣僚、衆議院議員等の対マスコミ発言も、控訴人ら従軍慰安婦であった者に対する名誉毀損であると主張する。
(1) <証拠略>によれば、平成六年五月四日永野茂門法務大臣は共同通信社のインタビューに対して「(従軍慰安婦は)時の公娼であった」と発言し、平成八年六月四日奥野誠亮衆議院議員は、記者会見で「商行為に参加した人たちだ。」と発言し、平成九年一月一三日江藤隆美衆議院議員は、歴史教科書への従軍慰安婦の記述に関して、「いつどこで日本の官憲が強制連行したという事実が明らかになっているのか。」と発言して強制連行はなかった旨の発言をし、平成九年一月二五日梶山静六内閣官房長官は、「今、従軍慰安婦問題で騒いでいる人たちは、当時の公娼制度を知らずに言っている。当時は公娼制度が厳然としてあった。」と従軍慰安婦は公娼であった旨の発言をし、平成九年二月六日島村宣伸衆議院議員は、「おおむね現地の女衒が一役買って、中国の人なり韓国の人なりが集めていた。本人の意思で望んでそういう道を選んだ人たちがする。」と発言し、平成一〇年八月中川昭一農相は、「総じて強制であった」とした政府談話について「事実でない可能性が高いのに政治、外交に翻弄されている。」「当時は強制連行の事実もないし、従軍慰安婦という言葉もなかった。」と発言してマスコミを通じて国民に報道されたことが認められる。
(2) 右の事実によれば、右の法務大臣や国会議員等のマスコミに対する発言は、それぞれの発言者の従軍慰安婦に関する歴史認識を述べるものであると認められるが、政治的議論に属する限りの個人的発言であり、前示<証拠略>の旧日本軍の中国戦線の兵站部に属した軍医の漢口慰安所の実態を綴った著書(「漢口慰安所」)によれば、概ね右の発言者が述べた内容の実態例も存したものと認められるから、直ちに被控訴人による名誉毀損となり得るものではなく、また、各発言が名誉毀損の害意に基づくものであったとも認められない。
(三) もっとも、前記認定のとおりの重大な人権侵害を受けた元従軍慰安婦であった者にとっては、事実関係を十分に究明することができなかったという国会での発言、又は営業的公娼制度の一環であったという趣旨の発言は、基本的にその心を傷つけるものであったと推認され、控訴人は、この点につき名誉感情に対する侵害があったと主張しているものとも解される。しかし、もともと名誉感情は、主観的な自分自身に対する人格的価値の評価であって、民法七二三条の名誉とは区別されるものであるが、社会通念上許される限度を超えた侮辱行為によってその侵害がある場合でなければ、名誉感情に対する侵害を不法行為ということはできないものであるところ、前記認定の各国会答弁等又は前記マスコミに対する各発言は、前記認定に照らせば、いずれも元従軍慰安婦であった者に対する限度を超えた侮辱行為であるとまで認めることはできない。
(四) したがって、前示の国会答弁等による名誉毀損の主張は理由がない。
2 処罰義務違反について
控訴人は、旧日本軍による従軍慰安婦の設置は従軍慰安婦に対する集団的、組織的強姦であるから、被控訴人には国際法又は国際慣習法上の国家責任が成立し、その義務履行として従軍慰安婦の関係者に対する処罰義務があるとし、加害者処罰を行わないことは、控訴人に対する不法行為となると主張する。前記認定のとおり、強制労働条約及び醜業条約においては、一定の者に対する処罰義務を国家に課していると認められるが、条約上の処罰義務は国際法上の国家責任である。国内法においては、同様の処罰義務は、行政上の責任として生じるものであるが、必ずしも、被害者個人に対する関係でその不作為が不法行為となったりするものではない。我国においては、もともと犯罪の捜査及び検察官の公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益目的で行われ、国家は犯罪被害者に対して犯罪者の処罰義務を負うものではない。したがって、国家による犯罪捜査の遅滞、捜査の不開始は、特別の事情がない限り、原則として犯罪被害者に対する不法行為となるものではない。
また、右のような国家責任が発生している場合に、処罰義務を尽くしていない国家に対して、被害者個人が直接損害賠償請求をし得るとする国際慣習法が今日既に確立していると認めることはできない。
この点の控訴人の主張は、その余の判断をするまでもなく、理由がない。
3 立法不作為について
(一) 控訴人の主張は、国際法又は国際慣習法上の国家責任を負う被控訴人は、憲法及び国際慣習法に基づく立法義務を負うとし、長期間にわたり控訴人らに対する補償立法を行わないことは、国家賠償法上違法な状態になっていると主張する。
しかしながら、もともと憲法上、国民の意思を立法等に反映させるために議会制民主主義が行われ、国民から選挙によって選ばれた国会議員で構成される国会は、法律の立法権を独占している関係にあり、国会の立法に関する動機、目的、方法、内容に関する立法判断には、それが政治的であるか否かを問わず、幅広い裁量権があるものといわなければならず、国会の立法不作為に関して国家賠償法上の違法が生ずるのは、憲法上一義的明白に国会に一定の立法作為義務を課しているにもかかわらず、国会が故意過失により、その立法を懈怠し、国民に損害を与えている場合に限られる。
(二) ところで、控訴人らの従軍慰安婦に対する旧日本軍の措置は、強制労働条約及び醜業条約に違反する点があった可能性が否定できないことは前示のとおりであり、被控訴人にはこれらの条約上の義務違反が成立し得たと解されるから、国際法上の国家責任の解除の方法として、国内補償立法を行うことも取り得る一方法であったといえるが、国際法上の国家責任の解除の方法は多様であり、前記認定のとおり、従軍慰安婦であった控訴人個人に対する行為の中には不法行為になるものもあり得たが、控訴人はその除斥期間の期限内において我国の民事訴訟手続により国に対して損害賠償請求権を行使し得たことなどの事情を総合すると、憲法上、一義的に従軍慰安婦の被害救済に関する補償立法を行うべき立法作為義務が明白にあったとまではいえない。結局、従軍慰安婦に対する補償立法を行うか否かの判断は、国会の裁量に属する立法政策判断であり、前示のとおりの作為義務があるとはいえない以上、立法不作為をもって国家賠償法上の違法があるとはいえない。
(三) また、控訴人の主張は、国会の立法作為義務は国際法又は国際慣習法に違反した国家の国家責任としても生ずるというものであるが、前記認定のとおり、国際法及び国際慣習法上の義務違反に伴う国家責任の在り方については、国際法上の国家責任解除の方法として、被害者個人に対する補償立法という特定の方法でこれを行うべきであるとする国際法又は国際慣習法が確立しているともいえない。
したがって、国際法のこの点の主張も理由がない。
第六結論
以上によれば、控訴人の本件請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして主文のとおり判決する。
(裁判官 鬼頭季郎 慶田康男 梅津和宏)
(参考)第1審(東京地裁 平成5年(ワ)第6152号 平成11年10月1日判決)
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、別紙<略>記載の謝罪文を交付して謝罪するとともに、国会において、公式に謝罪せよ。
二 被告は、原告に対し、一億二〇〇〇万円及びこれに対する平成七年一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え(遅延損害金の起算日は、平成七年一月二七日付訴え追加的変更申立書の送達日の翌日)。
第二事案の概要
本件は、一九二二年(大正一一年)生まれの韓国籍の女性である原告が、第二次世界大戦中の約七年間にわたり、中国大陸でいわゆる従軍慰安婦(以下単に「従軍慰安婦」という。)とされ、旧日本国軍隊(以下「日本軍」という。)の兵士ら(以下「日本軍人」という。)から暴行、強姦などの被害を受け、著しい肉体的精神的苦痛を被ったと主張して、被告である国に対し、主位的に、国際法及び民法に基づき、予備的に、<1>国会答弁等においていわゆる従軍慰安婦の制度(以下「従軍慰安婦制度」という。)に対する日本軍及び被告の関与並びにその強制連行性を否定する趣旨の発言がされたことにより原告の名誉が毀損されたこと(名誉毀損)、<2>被告が従軍慰安婦制度に関与した責任者を処罰する義務に違反してこれを放置したため原告が処罰によって得られるべき内心の静穏な感情を侵害されたこと(処罰義務違反)、<3>国会議員が戦後に原告を含む同様の境遇にあった者に対し法律を制定して補償する義務に違反してこれを放置したためさらに被害の増大がもたらされたこと(立法不作為)を根拠として国家賠償法に基づき、謝罪及び損害賠償を請求する事案である。
第三争いがない事実など判断の前提として認定される事実
一 争いがない事実(資料に記載されていることが争いがない記載によって認められる事実を含む。)
1 昭和七年(一九三二年)のいわゆる上海事変に際して、日本軍人による強姦事件が発生したことから、派遣軍参謀副長であった者の発案により、その頃その地に創設された海軍のものにならって、醜業を目的とするいわゆる従軍慰安所(以下単に「慰安所」という。)が設置された。その頃までは、日本軍に慰安所ないしは従軍慰安婦という制度は見られなかった。
その頃から終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの従軍慰安婦が配置された。
当時の政府部内資料によれば、各地での慰安所の開設の理由は、日本軍占領地域内で日本軍人が住民に対し強姦などの不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されるのを防ぐ必要性があることなどとされていた。
2 従軍慰安婦とされた人々の募集は、日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たることが多かったが、その場合も、戦争の拡大とともに人員の確保の必要性が高まり、業者らがあるいは甘言を弄し、あるいは畏怖させるなど詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集められることが多く、さらに、官憲が直接これに加担するなどの事例もみられた。
戦地に移送された従軍慰安婦の出身地は、日本を除けば、朝鮮半島出身者が大きな比重を占めていた。
3 業者が従軍慰安婦などの婦女子を船舶等で輸送するに際し、日本軍は特別に軍属に準じて扱うなどしてその渡航申請に許可を与え、また、日本国政府は身分証明書の発給を行うなどした。
4 慰安所の多くは、民間業者により経営されていたが、一部地域においては、日本軍が直接経営していた例もあった。民間業者が経営していた場合においても、日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を定めたりするなど、日本軍は慰安所の設置、管理に直接関与した。
また、従軍慰安婦は、戦地では常時日本軍の管理下に置かれ、日本軍とともに行動させられ、日本軍は、従軍慰安婦や慰安所の衛生管理のために定期的に軍医による従軍慰安婦の性病の検査を行うなどしていた。
5 戦線の拡大の後、敗走という混乱した状況の下で、日本軍がともに行動していた従軍慰安婦を現地に置き去りにした事例もあった。
二 原告に関して認定される事実(<証拠略>)
1 原告は、一九二二年(大正一一年)一一月朝鮮半島の忠清南道で生まれた女性である。
2 原告は、一九三七年(昭和一二年)、数え年一六歳のときに親に一〇歳以上離れた男性との結婚を決められ、何もわからなかったため、初夜の席を嫌って逃げ帰ったが、実家に戻れば婚家に連れ戻されることが確実であったことから、近くの村々で子守などをして生計を立てていた。
そこへ、一九三八年(昭和一三年)頃、初老の朝鮮人女性が現れ、原告に対し、原告の母の知合いだと称した上、「御国のために戦地に行って働けば金がもうかる。」、「結婚なんかしなくても一人で生きていける。」などと言って戦地での仕事に誘った。
原告は、その仕事の内容が性に関係し、まして醜業であることなど知らされていなかったため、誘いに乗って、戦地で働くことを承諾した。
3 原告は、朝鮮半島北部の新義州に連れて行かれ、更にそこからは、同様にその場所に集められていた多数の女性とともに、朝鮮人男性に、中国大陸の天津を経て、設置作業中の武昌の日本軍陸軍慰安所に連れて行かれた。
原告は、その慰安所の営業許可直前、泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。
原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった。
4 軍人が慰安所に来る時間帯は、兵士が朝から夕方まで、下士官が夕方から午後九時まで、将校がそれ以降と決められており、原告らは、連日のように朝から晩まで軍人の相手をさせられた。殊に、日曜日はやってくる軍人の数が多く、また、通過部隊があるときは、とりわけ多数の軍人が訪れ、原告が相手をした人数が数十人に達することもあった。
5 軍人の中には、些細なことで激高して原告に軍刀を突きつけたり、殴る蹴るなどの暴行を加える者もあった。
原告は、帳場の担当者、軍人らから繰り返して殴られるうちに、右耳が聞こえなくなり、また、脇腹に軍人から匕首で切り付けられた刀傷が残っている。さらに、原告は、武昌の慰安所では「金子」と呼ばれ、左腕に「金子」の刺青をされたが、現在もこの刺青は残っている。
慰安所においては、軍人は避妊具の使用を義務づけられていたが、使用しない者もあったため、性病にかかり、妊娠する慰安婦もいた。
6 原告は、一度妊娠したが、早産のため死産した。その後、一九四一年(昭和一六年)頃にも妊娠したところ、武昌の慰安所から放逐され、漢口の海軍の慰安所に連れて行かれた。そこで、出産まで掃除、洗濯等の雑用をした後出産したが、自分で育てることは不可能であったため、養子に出してその子の養育を委ねざるを得なかった。
7 原告は、その後、漢口の別の慰安所に移され、さらに岳州、応山、長安、蒲圻、咸寧等の各慰安所に移され、一九四五年(昭和二〇年)の第二次世界大戦の終了時までそれぞれの慰安所で慰安婦として軍人相手の醜業に就くことを余儀なくされた。
第四争点
一 主要な争点
1 国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否
2 民法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否
3 名誉毀損、処罰義務違反及び立法不作為を理由とする国家賠償法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否
二 主要な争点についての原告の主張
1 争点1(国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 国際慣習法に基づく謝罪及び損害賠償請求
(1) 国際法上の義務(確立された国際慣習法による義務を含む。)に違反する行為をした国家には、国際不法行為としての国家責任が発生し、その義務違反によって生じた被害を回復する責任を負う。特に、右義務違反が重大な人権侵害にあたり、又は強行的性格を有する国際慣習法規範(ユス・コーゲンス)に違反する場合には、当該加害国は、国際社会全体ないしは万民に対する義務として、被害者である個人に対しても直接被害回復を行う責任を負う。この場合、被害者は、権限ある国内裁判所において効果的な救済を受ける権利をもち、具体的には、その属する国家の外交保護権によることなく、自ら直接に加害国に対して、加害責任者の処罰、被害者個人に対する謝罪、損害賠償等を請求することができる。
このことは、国際慣習法として確立された法理というべきである。すなわち、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会(以下「人権小委員会」ともいう。)の特別報告者であるテオ・ファン・ボーベン(以下単に「ファン・ボーベン」という。)による最終報告書「人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の原状回復、賠償および更生を求める権利についての研究」(一九九三年(平成五年)。<証拠略>。以下「ファン・ボーベン報告書」という。)は、重大な人権侵害にあたる行為の類型として、奴隷制、奴隷制類似行為等を掲げた上で、その被害回復については、<1>原状回復、賠償、満足(事実の公的な認定と責任の受諾を含む謝罪、違反に責任ある人物を裁判にかけることなどをその内容とする。)等を含むべきであること、<2>国際法の下で犯罪となるようなある種の人権侵害に対する被害回復には、違反者を訴追し処罰する義務が含まれるべきであること、<3>被害回復は、直接の被害者等の個人によって請求できるものであることなどを提言している。右報告は、国際法学者であるファン・ボーベンが人権小委員会からの委託に基づき、被害者の被害回復の権利の内容について、国際法、国内事情等を調査、研究した上で行った報告並びに基本原則及び指針の提案であり、その内容は同小委員会でも高く評価されている。したがって、右報告書の提言内容は、国際社会によって認められ、国際慣習法として確立したというべきである。
また、前記内容の国際慣習法が確立したことは、国連人権委員会の特別報告者であるラディカ・クマラスワミ(以下「クマラスワミ」という。)による「人権委員会決議一九九四/四五にもとづく『女性への暴力に関する特別報告者』による戦時の軍事的性奴隷制問題に関する報告書」(一九九六年(平成八年)。<証拠略>。以下「クマラスワミ報告書」という。)が、被告に対し、第二次世界大戦中に日本軍によって設置されたいわゆる慰安所制度が国際法上の義務に違反したことを承認し、その違反の法的責任を受諾することなどを勧告したことによって、いっそう明らかになったというべきである。
(2) 被告は、従軍慰安婦制度を設置、運営し、一九三八年(昭和一三年)から一九四五年(昭和二〇年)までの約七年間、原告を従軍慰安婦として、いわば性的奴隷の状態に置いた。すなわち、原告は、一九三八年(昭和一三年)、まだ一六歳であったが、他の同じ年格好の多数の女性らとともに平壌に集められたのち、約三年間にわたり武昌の陸軍専用のいわゆる慰安所において、暴力と脅迫の下でむりやり軍人の性欲処理の道具とされ、その後、岳州でも同様の生活を強いられ、さらに安陸、宜昌、沙市、応山、咸寧、長安等の慰安所に連れて行かれ、また、しばしばそれらの慰安所から特定の部隊付として戦地を進行させられ、特に過酷な状況下で軍人の性欲処理をさせられた。
被告の原告に対する右行為は、<1>奴隷の状態又は隷属状態に置かれない自由を保障した一九二六年(大正一五年)成立の「奴隷条約」(以下単に「奴隷条約」という。)と同内容の国際慣習法、<2>「強制労働ニ関スル条約」(国際労働機関第二九号条約。昭和七年条約第一〇号。以下単に「強制労働条約」という。)、<3>「人道に対する罪」及び通常戦争犯罪行為の禁止と同内容の国際慣習法、<4>「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」(大正一四年条約第一八号。以下「醜業条約」という。)等にそれぞれ違反する違法行為である。
そして、奴隷制度及びこれと密接不可分な関係を有する強制労働の禁止等が国際法におけるユス・コーゲンス(強行規範)としての地位を占め、これに違反して個人を奴隷又は隷属状態に置くこと等が重大な人権侵害にあたることは明らかであるから、その被害者である原告は、加害国である被告に対し、直接謝罪及び損害賠償を請求する権利を有するというべきである。
(3) 奴隷条約と同内容の国際慣習法違反
ア 奴隷制の禁止は、二〇世紀初めには既に国際慣習法として確立されていた。
すなわち、奴隷制は、人類の歴史とともに古くから存在したが、既に一九世紀において、一八一四年、一八一五年のパリ平和条約、一八四一年のロンドン条約、一八六二年のワシントン条約などの奴隷制に関する条約が存在しており、奴隷制に対する国際機関の取組は、他の人権問題に比べて早い時期から開始された。
国際連盟は、植民地及び委任統治制度下における奴隷制の問題を重要視し、連盟規約には、「委任統治地域ニオケル原住民ナイシ土民ノ保護ノウチニ奴隷取引ノ如キ濫用ヲ禁止スル」との規定(二二条)、「加盟国ハ自国及ビ商工業上ノ関係ガ及ブアラユル領域ニオイテ、公正カツ人間的ナ労働条件ノ確保並ビニ維持ニ努力スベキ」であるとする規定(二三条)を置いた。
その後、国際連盟は、一九二二年(大正一一年)、奴隷制に関する一切の問題を調査するため奴隷臨時委員会を設置し、同委員会は、第一次報告書において、奴隷制度に関する問題は包括的観点から取り扱われるべきであるとし、奴隷制に類似する一切の苦役を抑制する措置を講ずべき必要性を強調した。同委員会の研究を受けて、一九二六年(大正一五年)には、国際連盟で奴隷条約が採択され、翌一九二七年(昭和二年)に発効した。
第二次世界大戦後も、国際連合は、一九四八年(昭和二三年)の世界人権宣言四条において、「何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。」と宣言し、それまでに確立されていた国際慣習法を確認した。また、一九五六年(昭和三一年)には「奴隷制度、奴隷取引並びに奴隷制類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」が採択され、翌一九五七年(昭和三二年)に発効した。
被告も、一八七二年(明治五年)のいわゆるマリア・ルース号事件において、国際法上の国家実行として奴隷制度を認めないという意思を世界に対して宣明した。
このような奴隷制に関する各種の条約の存在、奴隷制に対する国際機関の取組などに照らせば、奴隷制の禁止が、二〇世紀の初めには国際慣習法として確立し、ユス・コーゲンス(強行規範)となっていたことは明らかというべきである。
国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会の特別報告者であるゲイ・J・マクドゥーガル(以下「マクドゥーガル」という。)による最終報告書「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行」(一九九八年(平成一〇年)六月。<証拠略>。以下「マクドゥーガル報告書」という。)は、奴隷制及び奴隷類似慣行の禁止を、国際慣習法におけるユス・コーゲンス(強行規範)の地位を獲得した最初の禁止の一つであると位置づけ、この禁止が一九世紀に始まり二〇世紀の初めまでに国際慣習法として確立していたことは明らかであるとしている。
イ 奴隷条約一条は、「奴隷制度とは、その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。」と規定する。この点について、マクドゥーガル報告書は、強姦その他の性暴力による性的アクセスも、同条の「奴隷制度」に含まれるとしている。
奴隷条約は、奴隷制度と奴隷取引の禁止を規定しているが、これを個人の立場から見れば、同条約は、個人が奴隷の状態又は隷属状態に置かれない自由ないし権利を有することを保障したものと理解することができる。
ウ 原告は、「戦地に行ってお国のために働けば金がもうかる。」などと騙されて中国大陸に連れて行かれ、従軍慰安婦として、ほぼ監禁状態の中でときには一日数十人もの兵士に性的行為を強要された。戦闘地域へも移動させられ、前線の弾が飛び交うような状況のもとでも、性的行為を強要された。原告は、生命の危険にさらされた状況の下で、人身の自由、性的自由を徹底的に剥奪され、軍の命じるままに行動を抑制された。そして、朝鮮語を話すことを禁止され、日本語を話すように強制され、腕に「金子」という自分の呼び名を刺青されてもいる。
したがって、原告が、いわば性的奴隷として奴隷状態又は隷属状態に置かれていたことは明らかであるから、被告の原告に対する右行為は、そのような状態に置かれない自由と権利を保障する奴隷条約と同内容の国際慣習法に違反するものというべきである。
(4) 強制労働条約違反
ア 一九三〇年(昭和五年)六月二八日開催の国際労働機関第一四回総会は、「強制労働ニ関スル条約(第二九号)」(以下でも「強制労働条約」という。)並びに「間接の労働強制に関する勧告(第三五号)」及び「強制労働の規律に関する勧告(第三六号)」を採択した。
被告は、一九三二年(昭和七年)一一月二一日、国際連盟事務局に右条約の批准登録をした。
イ 強制労働条約は、強制労働を「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労働」と定義した上(二条一項)、これを「能フ限リ最短キ期間内」に廃止することを約し(一条一項)、条約が規定する「条件及保障」に従って、「強制労働ハ経過期間中公ノ目的ノ為ニノミ且例外ノ措置トシテ使用セラルコトヲ得」るとした(一条二項)。すなわち、強制労働使用は、「労務ガ現ニ又ハ急迫ニ必要ナルモノナルコト」等の条件を充たす必要があるとし(九条)、強制労働に従事する者について、「推定年齢一八歳以上四五歳以下ノ強壮ナル成年男子ノミ」を対象とすることを定め、女性や一八歳未満の者を強制労働に従事させることを禁止した(一一条)。また、期間については、「一二月ノ一期間ニ於テ一切ノ種類ノ強制労働ニ徴集セラレ得ベキ最長期間ハ労務場所ニ往復スルニ要スル期間ヲ含ミ六〇日ヲ超ユルコトヲ得ズ」と規定した(一二条一項)。
そして、同条約二五条は、この条約に違反した場合に各国に処罰すべき義務を課している。
ウ ところで、明治憲法下においても、被告においては国際法の包括的受容の慣行が成立していた。
そして、そもそも条約が国内法に受容され国内で法規として効力をもつことが承認された以上は国内法と同様に直接適用可能である(自動執行力をもつ)ことが推定されるべきであるから、一般に条約の直接適用可能性(自動執行力)の要件とされる主観的要件はそれを排除する明確な意思がない限り、原則的には要件として満たされていると考えるべきである。強制労働条約について被告が積極的に直接適用可能性(自動執行力)を排除したことは窺われないから、主観的要件は充足されている。
また、一般に条約の直接適用可能性(自動執行力)の客観的要件としては、<1>抽象的概念を含むものでないこと、<2>条約の執行に必要な機関及び手続が定められていることが要求される。まず、<1>の要件は、法治国家原則に根拠を置いているから、司法府、行政府に広い法の解釈権限が認められて一般的抽象的な国内法が直接適用されていた当時の被告においては、緩やかに考えるのが正当である。強制労働条約の「強制労働」についての規定は十分具体的であり、強制労働の不法な強制の違法性は明白で被害の回復の必要性は高いから、被害者の賠償請求権は当然に認められているというべきである。次いで、<2>の要件は、被告においては本件当時既に民事訴訟制度が存在していたのであるから、条約が直接適用可能となる(自動執行力をもつ)ための機関及び手続は既に具わっていたということができる。
したがって、原告は、強制労働条約に基づいて、被告に対し直接損害賠償請求をすることができると解すべきである。
エ 原告は、まだ一六歳のときに騙されて中国大陸に連れて行かれ、言葉も地理も全くわからず、戦場という逃げようにも逃げられない状況のもとで、約七年間もの長期間にわたり、暴力的制裁などによる威嚇を受けながら、従軍慰安婦として性的行為を強要された。このことが強制労働条約にいう「強制労働」に該当し、原告にこれを強要した被告の行為が同条約の諸規定に違反することは明らかというべきである。
(5) 人道に対する罪又は通常戦争犯罪と同内容の国際慣習法違反
ア 「人道に対する罪」とは、殺人、殲滅、奴隷化、追放及び戦争前又は戦争中に犯されたその他の非人道的行為である。その概念は、次のように発展してきた。
すなわち、武装紛争における行動と武装紛争の犠牲者の保護の原則を決定している「人道法」は、「赤十字条約」(一八六四年)にその淵源があるが、その後の戦争手段の進化、戦争規模の拡大及び国際関係の複雑化に従って、より近代的な法体系として形成されてきた。「戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル条約」(一九〇六年(明治三九年))、「戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル千九百二十九年七月廿七日の『ジュネーヴ』条約」(一九二九年(昭和四年))と発展し、さらに第二次世界大戦における大量の一般市民をも巻き込んだ戦闘の経験から、文民の保護を含んだ一九四九年(昭和二四年)諸ジュネーブ条約が締結されるに至った。これらのジュネーブ条約とともに、一九〇七年(明治四〇年)には「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(明治四五年条約第四号。以下「ヘーグ陸戦条約」という。)が締結され、条約付属書として「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」(以下「ヘーグ陸戦規則」という。)が確立された。これらの条約とその他の国際慣習法は、「国際人道法」と総称される。なお、被告は、一九一二年(明治四五年)にヘーグ陸戦条約を批准した。
国際人道法は、戦争行為において、当事国が人道法として成立したこれら武装紛争行為を規制する規則に違反した場合には、これを「人道に対する罪」として処罰すべきであるという概念に発展し、遅くとも第二次世界大戦中には確立された国際慣習法となった。
ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例六条(c)、極東国際軍事法廷条例第五条(ハ)も、既に国際慣習法として確立していた「人道に対する罪」の概念を明文化して確認している。また、ヘーグ陸戦条約は、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。」と規定しているが(「前記規則」とは、ヘーグ陸戦規則を指す。)、これは人道に対する罪に違反した場合の賠償責任を実体法化した規定であると理解することができる(もっとも、原告は、本件において直接ヘーグ陸戦条約三条に基づいて損害賠償等を請求するのではない。)。
イ また、古くから、兵士による女性の強姦、強制売春は、民間人への攻撃等と並んで、通常戦争犯罪行為として禁止されてきた。比較的最近の成文法としては、一九〇七年(明治四〇年)ハーグ第四条約に付属する戦争の法規慣例に関する規則四六条が「家ノ名誉及ビ権利」を尊重すべきことを定めていることにこの禁止が含まれているとされてきた。第二次世界大戦時においては、連合国が、この大戦での戦争犯罪を処罰するために、各国の戦犯法廷の管轄すべき事項をガイドラインとして策定したが、その中にも強姦、強制売春が明示されている。
ウ 前記(3)ウのとおり、被告は原告を、従軍慰安婦として、いわば性的奴隷状態に置いた。被告の原告に対するこのような行為が、「人道に対する罪」の「奴隷化」に該当し、また、通常戦争犯罪行為としての兵士による女性の強姦、強制売春に該当することは明らかというべきである。
(6) 醜業条約違反
ア 一九〇四年(明治三七年)、ヨーロッパの一二か国によって、「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買取締ニ関スル国際協定」が調印された。一九一〇年(明治四三年)パリにおいて開催された国際会議では、ヨーロッパの一三か国によって、「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル条約」(以下でも「醜業条約」という。)及び最終議定書が調印された。
この二つの条約は、第一次世界大戦後、一九二一年(大正一〇年)第二回国際連盟総会において可決され、同年九月三〇日、ジュネーブにおいて二三か国代表者が署名し、同年、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」が成立した。
被告は、一九二五年(大正一四年)一二月二一日、醜業条約等右の三条約を批准した。
イ 醜業条約一条は、「何人タルヲ問ハズ他人ノ情慾ヲ満足セシムル為醜業ヲ目的トシテ未成年ノ婦女ヲ勧誘シ誘引シ又ハ拐去シタル者ハ本人ノ承諾ヲ得タルトキト雖又右犯罪ノ構成要素タル各行為ガ異リタル國ニ亙リテ遂行セラレタルトキト雖罰セラルベシ」と規定している。
もっとも、被告は、この条約が植民地に適用されないと宣言しているが、国家自らが直接又は間接に関与するような事態は予想されておらず、そのような場合には国内において行われたのと同視されるべきである。
ウ 被告は、一九九二年(平成四年)七月に発表した「朝鮮半島のいわゆる従軍慰安婦問題について」と題する報告書において、従軍慰安婦制度に対する日本軍の関与を示す文書を公表し、さらに一九九三年(平成五年)八月に発表した第二次報告書では、従軍慰安婦が集められる過程は総じて強制であったことを認めた。
被告は、ある場合は官憲を使い、ある場合は民間業者を利用して、醜業条約一条が規定する「他人ノ情慾ヲ満足セシムル為醜行ヲ目的トシテ未成年ノ婦女ヲ勧誘シ誘引シ又ハ拐去シタル」に該当する行為を行った。原告も、一六歳のときに、「戦地に行ってお国のために働けば金がもうかる。」と騙されて、従軍慰安婦にされ、性的行為を強制された。
このような被告の原告に対する行為が、醜業条約一条に違反することは明らかというべきである。
そして、前記(4)のウにおいて強制労働条約について検討したと全く同様の理由で、原告は、醜業条約に基づいて、被告に対し直接損害賠償請求をすることができると解される。
(二) 強制労働条約に基づく損害賠償請求
強制労働条約一四条は、「一切ノ種類ノ強制労働ハ労力ガ使用セラルル地方又ハ労力ガ徴集セラルル地方ノ何レカニ於テ類似ノ労務ニ付通常行ハルル率(其ノ何レガ高キヲ問ハズ)ヨリ低カラザル率ニ於テ現金ヲ以テ報酬ヲ与ヘラルベシ」として、強制労働を課せられた者が報酬請求権を有することを規定している。
また、同条約一五条は「労働者ノ労働ニ基因スル災害又ハ疾病ニ対スル労働者補償ニ関スル法令又ハ規則及死亡シ又ハ無能力ト為リタル労働者ノ被扶養者ノ為ノ補償ヲ規定スル法令又ハ規則ニシテ関係地域ニ於テ実施セラレ又ハ実施セラルベキモノハ強制労働ガ強要セラルル者及任意労働者ニ均シク適用セラルベシ」と規定して、任意労働者と同様に、労働災害に対する補償を義務づけている。
このように同条約によって容認される強制労働に対して報酬が支払われ、労災補償がされる以上、同条約に違反する違法な強制労働に対しても当然に報酬の支払及び労災補償がされるべきであるから、強制労働条約は、違法に労働を強制された被害者に対し、金銭の支払請求権を付与したものと解すべきである。したがって、前記(一)の(4)のウのとおり、従軍慰安婦として違法に性的行為を強制された原告は、加害国である被告に対し、強制労働条約に基づき、損害賠償を請求できるというべきである。
(三) カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に基づく謝罪及び損害賠償請求
一九四三年(昭和一八年)のカイロ宣言(以下単に「カイロ宣言」という。)、一九四五年(昭和二〇年)のポツダム宣言(以下単に「ポツダム宣言」という。)及びサン・フランシスコ平和条約(昭和二七年条約第五号。以下単に「平和条約」という。)に示された朝鮮に関する規定は、被告に対し、朝鮮の独立の承認だけでなく、植民地支配下で奴隷状態に置かれていた朝鮮人民が被告の国家権力の不法行為により受けた被害を回復する義務をも課したものというべきである。
したがって、原告は、被告に対し、右の各規定に基づき、その被害回復措置として、謝罪及び損害賠償を請求することができる。
2 争点2(民法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 民法上の不法行為
被告が原告を従軍慰安婦として性的奴隷状態に置き、日本軍が統制支配する慰安所において日本軍人により強姦等の被害を与えた行為は、前記1のとおり、国際法上の重大な人権侵害に該当し、ユス・コーゲンス(強行規範)に違反するものである。そして、この国際違法行為は、仮に国際法規に基づく原告の直接の請求権を基礎づけないとしても、国内法解釈に当たって違法性を基礎づけることは明らかであり、被告の行為は不法行為を構成する。
したがって、原告は、被告に対し、民法七〇九条により不法行為に基づく損害賠償を請求することができるし、民法七二三条により謝罪を請求することができる。
(二) 国家無答責の原則の不適用
国家賠償法(昭和二二年一〇月二七日施行)は、附則六項において「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定している。そして、明治憲法下においては、行政裁判所においても「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法一六条)、判例も、国の不法行為責任につき、権力的作用(公法関係)と非権力的作用(私法関係)とを区別し、権力的作用に基づく損害については民法の適用を否定し、国の賠償責任を認めないのが一般であった。そこで、国家賠償法施行前においては、いわゆる国家無答責の原則が採用され、国又は地方公共団体の権力的作用については私法である民法の適用はなく、これに基づく国の損害賠償責任はないとする見解があり、被告はこの見解に依拠している。
しかし、被害者が受けた損害が公権力の作用に基づくものかどうかによって、民法の適用の有無ひいては損害賠償請求の可否が決定されるべき合理的理由はない。
そもそも国家無答責の原則は、これを明文で定めた法律はなく、明治憲法下における絶対主義的天皇制に由来するものであるが、日本国憲法は、絶対主義的天皇制の産物であるアジアに対する軍事的侵略及び植民地支配を否定し、主権在民、基本的人権尊重主義及び恒久平和主義を三大原則とした。また、前記1の(一)(1)のとおり、重大な人権侵害行為を行った国家は、国際社会全体ないしは万民に対する義務として、被害者に対し原状回復、賠償、満足等の被害回復義務を負うというのが確立された国際慣習法である。
したがって、日本国憲法及び右国際慣習法と矛盾なく民法の規定を解釈すれば、明治憲法下の絶対主義的天皇制に由来する国家無答責の原則は適用されず、国家が自ら重大な人権侵害行為を行って被害を生じさせた場合には、それが国家の権力的作用に基づくか非権力的作用に基づくかにかかわらず、民法の不法行為の規定が適用され、当該国家は不法行為責任を負うと解すべきである。
(三) 時効ないしは除斥期間の不適用
(1) 民法七二四条後段を長期の消滅時効を定めた規定であると解釈すればもちろん、仮に除斥期間を定めた規定と解釈したとしても、その適用が正義、公平の理念に反する特段の事情がある場合には、右消滅時効又は除斥期間の適用は制限されるべきである。
最高裁判所も、従前は、民法七二四条後段が規定する二〇年の期間について、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものであるとして、具体的事情のいかんにかかわらず、一定の期間の経過のみをもって請求権が消滅するとしていたが(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁)、いわゆる予防接種ワクチン禍事件上告審判決(最高裁平成一〇年六月一二日第二小法廷判決・判例時報一六四四号四二頁)において、当該事案における具体的事情を考慮して除斥期間の適用を排除し、いかなる場合であっても二〇年の期間が経過すれば、それによって権利関係が画一的に処理されるのではなく、具体的事情のいかんによっては、民法七二四条後段の適用が排除され得ることを明らかにした。
(2) 被告は原告に対し重大な人権侵害を行ったが、前記1の(一)の(1)のとおり、このような重大人権侵害に対する被害回復義務は、加害国の国際社会全体に対する責任である。したがって、被告の被害回復義務は時の経過によって解除される性格のものではなく、その性質上、消滅時効及び除斥期間は適用されないと解すべきである。
「戦争犯罪と人道に対する罪への時効の不適用に関する国際条約」(一九六八年(昭和四三年)一一月二六日国連採択)は、「国際法上、戦争犯罪および人道に関する罪については時効が存しないという原則を確認し、かつ、この原則の普遍的適用を確保することが必要」であるとして、戦争犯罪及び人道に関する罪への時効の不適用が国際法上の原則であることを確認している。また、ファン・ボーベン報告書も、「重大な人権侵害に対する被害回復に関連する請求は時効法に従うべきではないという原則は広く受け入れられなければならない。」としている(同報告にいう「時効法」には、除斥期間も当然に含まれるというべきである。)。
(3) これに加え、被告は、第二次世界大戦終結直後に、従軍慰安婦制度に関係する公文書の破棄、隠匿を図った。
また、被告は、その責任者の処罰を怠った上、一九九二年(平成四年)まで政府の公的見解として、従軍慰安婦制度に対する被告及び日本軍の関与を否定するなどして、被害者による事実関係の解明、加害者の特定及び被害回復請求を妨げてきた。
さらに、被告は、一九六五年(昭和四〇年)の日韓協定の締結前には、戦争被害者に対する被害回復措置は二国間協定によって解決すると説明しながら、同協定締結後は、同協定二条三項の「一方の締結国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締結国の管轄下にある者に対する措置ならびに一方の締結国及びその国民の他方の締結国及びその国民に対する全ての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」との規定を理由に、日韓協定により日本と大韓民国との間の請求権問題は全て解決され、日韓両国及び両国民は相互に請求権に関するいかなる主張もできない、との公的見解を一九九一年(平成三年)までとり続け、原告ら被害者が被害回復請求をすることを妨げた。
このように、本件では、被告が原告による権利行使を妨げてきたという事情が存在すること、被告の原告に対する行為が、国際法上消滅時効ないしは除斥期間の適用排除が要請される重大人権侵害であることを考慮すれば、被告が消滅時効又は除斥期間の適用によってその被害回復義務を免れることは、正義、公平の理念に著しく反するものとして許されないというべきである。
3 争点3(名誉毀損、処罰義務違反及び立法不作為を理由とする国家賠償法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 名誉毀損
(1) 労働省職業安定局長清水傳雄(当時)は、一九九〇年(平成二年)六月六日、参議院予算委員会において答弁し、「従軍慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れ歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申し上げてできかねると思っております。」と発言した。
また、労働省職業安定局長若林之矩(当時)は、一九九一年(平成三年)四月一日、同年八月二七日の国会答弁において、「私どもといたしましては、朝鮮人従軍慰安婦問題という御指摘でございましたので調査をいたしましたが、当時、厚生省の勤労局あるいは国民勤労動員署というのがございまして、こういうところが動員業務を担当していたわけでございますが、当時そこに勤務しておりました者から事情を聴取いたしました結果、厚生省勤労局も国民勤労動員署も朝鮮人従軍慰安婦といった問題には全く関与していなかったということでございまして、私どももそれ以上の状況を把握できないということでございます。」と従軍慰安婦制度に対する被告の関与を否定する発言をした。
さらに、内閣官房長官加藤紘一(当時)は、一九九二年(平成四年)七月、従軍慰安婦制度に対する軍の関与を示す文書が発見された後になっても、「募集のしかたについて、(強制連行を示す)資料は発見されていない。」と述べて、強制連行の事実を否定した。
(2) 被告が設置、管理した従軍慰安婦制度の実態は、日本軍による組織的かつ連続的な強姦であった。それにもかかわらず、右制度に対する日本軍及び被告の関与を否定し、その強制連行性を否定する趣旨の発言をすることは、従軍慰安婦が任意に売春行為を行っていたと主張することにほかならない。したがって、これらの発言は、原告ら従軍慰安婦とされた女性たちの心を傷つけ、その名誉を毀損する不法行為を構成するというべきであり、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求することができ、同法四条、民法七二三条により謝罪を請求することができる。
(二) 処罰義務違反
(1) 犯罪の被害者は、犯罪行為を処罰する権能をもつ国家に対し、加害者の処罰を要求することができ、国家はこれに基づいて犯罪者を処罰する義務を負う。
原告は、従軍慰安婦として性的奴隷状態に置かれてきたが、原告をこのような状態に置いた日本軍の責任者の行為は犯罪として処罰されるべきである。すなわち、右の行為は、<1>強姦罪(刑法一七七条)に該当し、醜業条約及び強制労働条約に違反する通常犯罪であり、<2>「人道に対する罪」を構成する戦争犯罪であるとともに、<3>重大な人権侵害でもあるから、被告はその責任者を処罰する義務を負うというべきである。
マクドゥーガル報告書も、勧告のなかで「刑事訴追を確保するメカニズムの必要性」を第一に挙げ、「国連人権高等弁務官は、日本及びその他の裁判権を有するところで日本の強姦所の設置に関する日本軍の行為に明らかに関与した残虐行為の責任者の訴追のために働くべきである。日本が今日生存する『慰安所』の責任者全員を探しだし、訴追する責任を十分に果たすように、また他の国家が同様にその裁判権内で犯罪者の逮捕と訴追に助力するためにできるだけのことをすべきである。」として、責任者処罰の必要性を強調している。
(2) しかし、被告は、右処罰義務を怠り、現在に至るまで原告の受けた犯罪行為の加害責任者を処罰していない。責任者が処罰され、原告を従軍慰安婦として性的奴隷の状態に置いた行為が犯罪であることが公的に認知されれば、不完全ながらも原告の屈辱は除去され、憤慨は慰撫され、名誉が回復されて、原告は内心の平穏を取り戻すことができる。それにもかかわらず、被告が処罰を行わないために、原告は本来処罰によって得られる内心の静穏な感情を害されている。
そして、公権力の作為義務違反によって、人が内心の静穏な感情を害され、不安感、焦燥感を抱かされるに至った場合で、その不作為が内心の静穏な感情に対する介入として、社会的に許容し得る態様、程度を越え、全体として法的利益を侵害する違法なものと評価されるときは、不法行為が成立するというべきである。
被告は、第二次世界大戦末期及び敗戦直後に、いわゆる慰安所関係の文書の焼却命令を出して証拠隠滅を図り、その後四〇年以上にわたって何らの調査もしなかった。国会質疑において従軍慰安婦問題が取り上げられても、なお十分な調査を行わないまま放置し、被告の責任を否定する態度に終始した。日本軍の関与を示す文書が発見されてはじめて、ようやく関与の事実を認め、当時の首相が訪韓時に謝罪の言葉を述べたが、補償については日韓基本条約によって解決ずみであるとの態度を崩さなかった。さらに、被告の関与を示す文書が公表された後も、強制連行については裏付資料がないと主張し続けた。
このように、被告は、責任者の処罰はおろか、その前提となる事実関係の調査すら行わなかったのであるから、右責任者の処罰義務違反が、社会的に許容し得る態様、程度を越え、被害者である原告の法的利益を侵害する違法なものであることは明らかというべきである。
したがって、被告が、原告を性的奴隷状態においた責任者を処罰しない不作為は原告に対する不法行為を構成し、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求することができるし、同法四条、民法七二三条により謝罪を請求することができるというべきである。
(三) 立法不作為
(1) 人権侵害が重大であり、その救済の高度の必要性が認められる場合、その是正を図るのは国会議員の憲法上の義務であり、国会議員には憲法上の立法義務が生じる。また、当該人権侵害が国際法上の重大人権侵害行為に該当し、ユス・コーゲンス(強行規範)に違反する場合には、加害国は、国際社会全体ないしは万民に対する義務として、その義務違反によって生じた被害を回復する責任を負う。したがって、この場合には、国際法上、右被害回復義務を履行するために法律を立法する義務が発生し、具体的には、国会は、金銭的賠償のための法制度の整備や被害者が迅速で効果的な裁判手続を容易に利用できるような法制度を整備する義務を負う。
そして、国会が立法の必要性を十分認識し、立法が可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置した場合には、その立法不作為は違法となる。
(2) 従軍慰安婦制度は、植民地及び占領地の未成年女子を対象とし、甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、日本軍の直接的、間接的関与のもとで、政策的、制度的に日本軍人との性的行為を強要したものである。これは、日本国憲法が根元的価値を置く個人の尊重、個人の人格の尊厳を侵害するものでもあり、人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が存する。
ここでは、先行法益侵害に基づく保護義務として条理上の立法義務も生じたというべきである。
そして、一九九三年(平成五年)八月四日付の内閣外政審議室の「いわゆる『慰安婦』問題について」と題する調査報告書及び内閣官房長官河野洋平(当時)談話等に照らせば、被告が従軍慰安婦問題について、それが重大な人権侵害であり、被害者を救済する高度の必要性があることを認識していたことが明らかである。加えて、この頃には、第二次世界大戦中に各国家の行為によって犠牲を被った外国人に対する謝罪、救済立法等に関する先進諸外国の動向が明らかとなり、被告が被害者に対する賠償立法という方策を認識していたことも明らかであるから、国会は、遅くともこの頃までには明確な立法課題を提起され、遅くともそれから三年を経過した一九九六年(平成八年)八月末頃までには、右立法をなすべき合理的期間が経過したということができる。
したがって、それ以後、右立法不作為は国家賠償法上違法となるから、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求することができるし、同法四条、民法七二三条により謝罪を請求することができるというべきである。
三 主要な争点についての被告の主張
1 争点1(国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 国際慣習法に基づく謝罪及び損害賠償請求について
(1) 国際法は、国家と国家との関係を規律する法であるから、条約及び国際慣習法は、第一義的には国家間の権利義務を規定する。したがって、ある国家が国際法に違反して国家責任を負う場合に、国家責任を追及できる主体は原則として国家である。このことは、国際法違反行為による直接の被害者が個人であり、国際法が個人の権利の保護、確保に関する規定を置いている場合であっても、異ならない。
もっとも、例外的に個人の国際法主体性が認められる場合もあるが、そのためには、その権利義務が国際法に規定されていることに加え、個人が国家の外交保護権によることなくその名において国際法上の権利を主張して加害国の責任を追及できるような特別の国際法上の手続(国際裁判所又は国際機関における当事者適格)が規定されていることが必要である。
したがって、条約自体が、権利を侵害された個人に対し、直接国際法上の手続によってその救済を図る制度を認めているような例外的場合を除き、個人には国際法上の法主体性が認められないから、個人が加害国に対して損害賠償等を請求することはできないというべきである。
この点について、原告は、被告の国際法上の責任に関し、重大な人権侵害行為については、被害回復の内容を規定する国際慣習法が形成されるに至っており、原告が被告に対し、国際法違反行為に基づく責任者の処罰、被害者個人に対する謝罪及び損害賠償を請求する権利は、国際慣習法上確立されたものであると主張している。
しかし、国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(一九四五年国際司法裁判所規程三八条)をいうのであるが、これが成立するためには、諸国家の行為の積重ねを通じて一定の国際的慣行が成立していること(一般慣行)及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要とされる。そして、右一般慣行が存在するというためには、国家実行が反復され、不断かつ均一の慣行となっていること及び当該事項に利害関係を有する大多数の国家間に慣行が成立していることが必要である。
原告は、重大な人権侵害行為をした国家が、被害を受けた個人に対し直接民事上の損害賠償、謝罪等を履行し、責任者の処罰等を行うといった国家実行が反復され、不断かつ均一の慣行になっていることについて、主張する必要があるにもかかわらず、何らこの点について具体的な主張をしていない。
原告は、その主張する内容の国際慣習法が成立したことの根拠として、ファン・ボーベン報告書及びクマラスワミ報告書を援用するが、それらは、いずれも各報告者の個人的見解にすぎず、国際法上確立した考え方とはいえないから、右国際慣習法成立の根拠となるものではない。また、「旧法時代に発生した事実は新法によって影響を受けない。」とする法律不遡及の原則は、国際法においても妥当するから、右各報告書が、本件の当時における国際慣習法成立の根拠となり得ないことも明らかである。
したがって、原告が主張する内容の国際慣習法が成立しているということはできない。
(2) 原告は、被告が従軍慰安婦制度を設置、運営し、原告を従軍慰安婦として性的奴隷状態に置いたと主張し、この行為が、<1>奴隷条約と同内容の国際慣習法、<2>強制労働条約、<3>「人道に対する罪」及び通常戦争犯罪行為の禁止と同内容の国際慣習法、<4>醜業条約等にそれぞれ違反する違法行為であると主張する。
しかし、原告が主張する各条約は、いずれも被害者個人の加害国に対する被害回復請求権を規定するものではなく、これによって原告の被告に対する損害賠償請求権等が発生するということはできないし、前記(1)のとおり、被害者個人の加害国に対する被害回復請求権を認めるような国際慣習法が成立しているともいえない。
また、原告は、ヘーグ陸戦条約三条が「人道に対する罪」の違反による賠償責任を実体化した規定であるとも主張するが、同条約三条は、個人は原則として国際法上の法主体とはなり得ないという前記国際法の基本原則及び条約の一般的な解釈方法に従って解釈する限り、交戦当事者である国家が、自国の軍隊の構成員によるヘーグ陸戦規則違反行為に基づく損害について、相手国に対し損害賠償責任を負う旨を規定した条項にすぎず、右行為により損害を被った個人の国家に対する民事上の損害賠償請求権を根拠づけるものと理解することはできない。この見解は、赤十字国際委員会が一九四九年八月一二日のジュネーブ条約について解説した「ジュネーブ条約解説I」等の記述にも合致している。
(二) カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に基づく請求について
原告は、カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に示された朝鮮に関する規定は、被告に対し、朝鮮の独立の承認のみならず、植民地支配下で奴隷状態に置かれていた朝鮮人民が被告の国家権力の不法行為により受けた被害を回復する義務をも課したものであると主張する。
しかし、カイロ宣言は、第二次世界大戦中、被告と交戦を行っていた主要連合国であるアメリカ合衆国、イギリス及び中国の三国の首脳が、カイロにおいて、重要な対日講和条件について協議した(カイロ会談)結果を宣言し、日本の領土等の処理に係る原則を宣明し、その中で朝鮮を独立させるという三国の基本方針を明らかにしたものである。
また、ポツダム宣言は、当時、被告と交戦状態にあった主要連合国の首脳が被告の軍隊に降伏の機会を与える条件等を示した宣言であり、その中には、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク」(八項)との部分があるが、この文言は、アメリカ合衆国、イギリス及び中国の三国がカイロ宣言で宣明した日本の領土等の処理に係る原則が履行されるべきこと、すなわち、当時被告の領土の一部であった朝鮮半島に関しては、朝鮮の独立が認められ、被告から分離されるべきことを要求したものである。
そして、これを受けて被告と連合国との間で締結した平和条約では、被告の条約上の義務として、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」旨の規定(二条(a))が置かれるに至った。
以上のとおり、カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約は、原告など個人の損害の回復を規定したものとはいえない。
2 争点2(民法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 民法の不適用及び国家無答責の原則
(1) 原告は、国家による重大な人権侵害行為については、当該国家は、被害者個人に対し、原状回復、賠償、満足等の被害回復義務を負うというのが国際慣習法であり、これと矛盾しないように民法の規定を解釈すべきであるとして、国家が自ら重大な人権侵害行為を行って被害を発生させた場合には、それが権力的作用か非権力的作用かにかかわらず、民法の不法行為の規定が適用されるべきであるなどと主張する。
しかし、前記1(一)のとおり、原告が主張する内容の国際慣習法の成立は認められないから、右国際慣習法と矛盾しないように民法を解釈すべきであるとの原告の主張は、その前提を欠く。
また、国家の権力的作用として実施された行為については、明治憲法下では国家無答責の原則が妥当したのであるから、民法の不法行為に関する規定は適用されない。すなわち、明治憲法下においては、行政裁判法一六条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セズ」と規定しており、行政裁判所に対して国家賠償請求訴訟を提起する途はなかった。また、旧民法下では行政裁判所に対するのと同様、司法裁判所に対して国家賠償請求訴訟を提起することも否定されていた。
要するに、行政裁判法と旧民法が公布された明治二三年(一八九〇年)の時点で、国家の権力的行為については主権無答責の法理を採用するという国の基本法的政策が確立したのである。
大審院の判例も、国家の権力的行為については損害賠償責任を一貫して否定し(大審院昭和一六年二月二七日判決・民集二〇巻二号一一八頁)、最高裁判所も、「国家賠償法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示してきたのである。」(最高裁昭和二五年四月一一日第三小法廷判決・裁判集民事三号二二五頁)と判示している。
(2) 原告が重大な人権侵害にあたると主張する本件行為の態様は、明らかに明治憲法下において国家の権力的作用として実施された行為であるから、被告がそれについて民法上の損害賠償責任を負うことはない。
(二) 除斥期間の経過
(1) 民法七二四条後段は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたと解するのが相当である。なぜなら、同条は、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図したもので、同条前段の三年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが、同条後段の二〇年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたと解するのが相当であるからである。したがって、除斥期間の経過による権利消滅の効果は法律上画一的に生じるものであり、裁判所は、当事者の援用がなくても、右期間の経過により請求権は消滅したと判断すべきであるし、権利の存続期間ともいうべき除斥期間の性質上、信義則違反又は権利濫用の余地もないというべきである。
(2) 本件では、原告の主張に係る加害行為から、本訴提起前に既に二〇年以上が経過しているので、民法七二四条後段により、不法行為に基づく損害賠償請求権は法律上当然に消滅している。
3 争点3(名誉毀損、処罰義務違反及び立法不作為を理由とする国家賠償法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
(一) 名誉毀損について
(1) 原告は、労働省職業安定局長清水傳雄(当時)らが、従軍慰安婦制度に対する日本軍及び被告の関与を否定し、その強制連行性を否定する趣旨の発言をしたことが、原告を含め従軍慰安婦とされた者たちの名誉を毀損すると主張する。
しかし、そもそも民事法において、名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価を意味し(最高裁昭和四五年一二月一八日第二小法廷判決・民集二四巻一三号二一五一頁)、名誉の侵害とは、右のような人が社会から受ける客観的な評価を低下させることをいう(最高裁昭和三一年七月二〇日第二小法廷判決・民集一〇巻八号一〇五九頁)。
したがって、言論による名誉の侵害があったといえるためには、人の社会的評価を低下させるに足りる具体的なものである必要があり、なお、当該言論により特定人について、前述したような人格的価値についての社会から受ける客観的な評価が低下することが必要である。当該言論が不特定人を対象とするか、又は具体性を欠く内容の場合は、特定人について前述した客観的な評価が低下することはあり得ず、このような場合には、言論による名誉の侵害は成立しない。
本件では、労働省職業安定局長清水傳雄(当時)らの答弁等の内容は、従軍慰安婦に関する調査結果などを述べるものにすぎず、これを聞く(読む)一般市民にとって、原告はもとより特定の人のことを指して述べていると解することはできない。したがって、これらの発言によって原告の社会的評価が低下することはあり得ず、原告の名誉が侵害されたということはできない。
(2) また、名誉感情は、人が自己自身の人格的評価についてもつ主観的価値であり、民法七一〇条、七二三条の名誉には含まれないと解するのが相当である(前掲最高裁昭和四五年一二月一八日判決)。
したがって、仮に原告主張の国会答弁等により原告の名誉感情が侵害されたとしても、原告は被告に対しこれを理由とする損害賠償を請求することはできない。
仮に名誉感情が法的保護の対象になり得るとしても、行為者がした表示の内容、手段、方法及び表示がなされた時期、場所並びに関係当事者、殊に被害者の職業、年齢、社会的地位等諸般の具体的事情を総合的に考察して、その表現態様が著しく下品ないし侮辱的、誹謗中傷的であるなどその対象者の名誉感情を不当に害し、社会通念上是認し得ないものであるときに限り、右侮辱は違法性を有し、不法行為を構成するにすぎないと解すべきである。
これを本件について見ると、原告が主張する右国会答弁等は、前述のとおり、従軍慰安婦問題に関する調査結果等を述べたにすぎず、その表現態様が著しく下品ないし侮辱的、誹謗中傷的であるとは到底いえない。
したがって、原告の名誉毀損を理由とする国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は理由がない。
(二) 処罰義務違反について
原告は、犯罪の被害者は、処罰権能をもつ国家に対し加害者の処罰を要求することができ、国家はこれに基づいて犯罪者を処罰する義務を負っているところ、被告はこの義務に違反し、原告に対する加害責任者を処罰しておらず、そのため、原告は屈辱、憤慨を除去された平穏な心情での生活を営む利益及び人格への侵害を受けているが、被告のこのような不作為は国家賠償法上違法な行為であると主張する。
しかし、国は、犯罪の被害者に対して犯罪者に刑罰を課する義務を負うわけではない。
わが国の法制度は、起訴権限を持つ検察官に対し、起訴について裁量権を付与しており(起訴便宜主義、刑事訴訟法二四八条)、少年法四五条五号のように特に定められた場合を除き、告訴がされている事件においても検察官は起訴の義務を負うものではない。そして、このような法制は、大正一一年に制定された旧刑事訴訟法においても同様であった(同法二七九条)。
そして、被害者又は告訴人は、捜査機関による捜査が適正を欠くこと又は検察官の不起訴処分の違法を理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできない。犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益又は損害の回復を目的としておらず、また、告訴は、捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すにすぎないから、被害者又は告訴人が捜査又は公訴の提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない(最高裁平成二年二月二〇日第三小法廷判決・判例時報一三八〇号九四頁)。
したがって、被告の処罰義務違反を理由とする原告の請求は主張自体失当である。
(三) 立法不作為について
原告は、国会議員が、憲法及び国際法に基づく立法義務に違反して、原告を含む同様の境遇にあった者に対する補償立法を行わなかった不作為は、国家賠償法上違法な行為であると主張する。
しかし、国会がいつ、いかなる立法をすべきか、あるいは立法しないかについての判断は、国会の裁量事項に属し、仮に国会議員の立法不作為が、国家賠償法上違法であると評価される場合があるとしても、それは憲法の一義的な文言に違反しているという容易に想定し難いような例外的場合に限られるというべきである。ところが、原告が被ったと主張する損害について損害賠償及び補償の立法義務が憲法の文言上一義的に明白であるなどとは到底いえない。
しかも、本件に係わる従軍慰安婦問題について国会議員の立法義務を肯定することはできず、立法不作為が違法の評価を受けるべき理由もない。
したがって、国会の立法不作為を理由とする原告の請求は理由がない。
(四) 以上のとおり、原告の国家賠償法に基づく請求はいずれも理由がないことが明らかであるが、さらに本件では、原告の主張に係る加害行為から、本訴提起前に既に二〇年以上が経過しているので、国家賠償法四条、民法七二四条後段により、その損害賠償請求権は法律上当然に消滅している。
第五当裁判所の判断
一 争点1(国際法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
1 国際法における一般原則
国際法は、国家と国家との法律関係に関し、国際法による規律は、本来的に国家と国家との間の権利義務を定めるものである。国際法が個人の生命、身体、財産等の個人的利益を保護しようとする場合にも、一方で国家に対し個人の権利、利益を侵害してはならないとの義務を課するとともに、他方でその義務の違反行為に対して被害を受けた個人の属する国家が外交保護権を行使して被害を与えた他の国家に対しその個人の損害賠償を請求するという方法によって、間接的に被害者の救済を図ることを予定しているにすぎないということができる。
もっとも、例外的に直接個人に対して権利を与えることを明確に規定する条約も存在している現在では、国際法が本来的には個人の権利義務を定めるものでないことを理由に、直ちに個人が国際法に基づいてその属する国以外の国家に対して権利侵害による被害回復を請求することが許容されないと断じ去ることはできなくなってきている。
しかし、そうはいっても、個人による国際法に基づく請求が許容されるのは、あくまでも例外的な場合であって、その権利義務関係を定めるだけでなく、個人が国家の外交保護権によらず個人の名で国際法上の権利を主張して加害国の責任を追及することができる国際法上の手続をも定める特別の国際法規範が存在しなければならないと解される。国際法が個人の生活関係又は権利義務関係を規律の対象としたからといって、当然に、個人に国際法上の権利主体性が認められ、これによって当該個人に直接国際法上何らかの請求権が付与されたと解することはできない。
そこで、以下において、右の特別の国際法規範が存在しているかどうかの問題を特に意識しつつ、原告の主張ひいて原告の請求の当否を検討することとする。(なお、国際法規に反したことを根拠として一般の不法行為に基づいてされた原告の請求については、後記二の争点2についての判断の部分において触れる。)
2 国際慣習法に基づく謝罪及び損害賠償請求について
(一) 原告は、重大な人権侵害又はユス・コーゲンス(強行規範)に違反する行為をした国家が、被害者個人に対し直接被害回復を行う責任を負い、被害者が加害国に対し、自ら直接に右被害回復の内容として謝罪、損害賠償等を請求する権利をもつことは、国際慣習法上確立された法理であると主張する。
(二) ところで、一般に国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(国際司法裁判所規程三八条一項b)を指すとされており、ここで原告がいう国際慣習法もこの意義であると解されるが、これが成立するためには、諸国家の行為の積重ね(国家実行)を通じて一定の国際慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要であるというべきである。
すなわち、国際慣習法は、国際社会の構成員間で行われる特定の国家実行の積重ね、いわゆる国家間の国際慣行を基礎として形成された国際法規であり、その妥当範囲が国際社会全体に及ぶことを特徴としているのであるから、大多数の国家間において、特定の国家実行が反復継続され、不断かつ均一の慣行となっており、かつ、その事項に利害関係をもつ大多数の国家が、当該国家実行を国際法上の義務又は権能と認識し確信して行っていることが認められるときに限り、当該国家実行について国際慣習法の成立を認定することができると解するのが相当である。
(三)(1) 本件全証拠によっても、第三の二の3ないし7の当時(以下「本件当時」という。)、重大な人権侵害又はユス・コーゲンス(強行規範)違反行為を行った国家によって被害を受けた個人が、その属する国家の外交保護権によらないで、自ら直接に加害国に対して損害賠償等の国際法上の被害回復責任の履行を求め、加害国がこれに応じて被害者個人に対して直接に損害賠償などを行ったという具体的事例が存在したことは認められないから、このような国際的慣行(一般慣行)が成立し、かつ、それを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在していたと認めることはできない。
したがって、原告の主張する内容の国際慣習法が本件当時成立していたと認定することはできないから、その余の点について判断するまでもなく、国際慣習法に基づく原告の請求は理由がない。
(2) もっとも、原告は、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会に提出されたファン・ボーベン報告書を前記内容の国際慣習法が成立した根拠として援用している。
<証拠略>によれば、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会(以下でも「人権小委員会」という。)は、一九八九年(平成元年)に討議の後、同年第一三号決議として、「人権と基本的自由の重大な侵害の被害者が、国際的なレベルで適切とされ完全に認められた原状回復、賠償及び更生を受ける実施可能な権利を持つことを確保するために、国際的な基準をさらに発展させ、現存するギャップを埋めることの重要性を考慮し、小委員会メンバーの一人であるテオ・ファン・ボーベン氏に人権と基本的自由の重大な侵害の被害者が原状回復、賠償及び更生を受ける権利に関して研究を行う任務を委託すること」を決定したこと、その決定に基づいて国際法学者であるファン・ボーベンは研究を進め、人権小委員会に対し、一九九〇年(平成二年)に予備報告書を提出した後、一九九三年(平成五年)に最終報告書としてファン・ボーベン報告書を作成提出したこと、同報告書には、前記第四の二1(一)(1)に記載のとおりの重大な人権侵害に当たる行為の類型とその被害回復についての提言が記載されていること、しかし、他方で、同報告書も、「III 国家責任」の項において、「伝統的な国際法によっては、加害国は国家間レベルにおいて被害国に対してその行為の責任を負う。(中略)伝統的な国際法によっては、損害を受けた主体は、その個人あるいは個人集団でもなく、その個人または個人集団が国民であるところの国家なのである。この点において、国家は加害国から損害賠償を請求することができるが、被害者自身は、国際的な請求を持ち出す立場にない。」として、国際法の一般原則に則した国家責任の法理を述べ、国際法のこの分野における通説的見解が、個人の国際法上の法主体性を肯定するものでないことを示していること、同報告書の研究の目的の項(Iの6)には、「この最終報告書でようやく一連の基本的な原則と指針を提案することができたが、これらを国連やその他のすべての関係機関が受け入れてくれることを希望するものである。」との記載があり、最終的な章(IX)は「基本的な原則および指針の提案」と題されていること、同報告書は、重大な人権侵害を行った国家によって被害を受けた個人が直接に加害国に対して損害賠償等を請求し、加害国がこれに応じて被害者個人に対して直接に損害賠償等を行ったというような具体的事例を特にどの部分にも挙げていないことが認められる。
これらの認定事実によれば、同報告書に記載された提言は、あくまでも人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の原状回復、賠償及び更生を受ける権利について基本的な原則と指針を積極的に発展させるためにされた意欲的かつ先進的な提案であるというべきであり、その提言された内容は、国際的に高く評価されて採択されていくべきものということはできるけれども、まだ国際法上確立した慣行にまで至っておらず、諸国家に法的確信とされるに至っていないこともおのずから明らかにされているというほかないし、また右報告書自体が事例に基づいて原告の主張する前記国際慣習法の成立を論証しているということもできない。
したがって、同報告書の提言内容が同報告書が人権小委員会に提出された時点で国際法上国際慣習法となっていたとはいうことはできないから、まして本件の一九三八年(昭和一三年)頃から一九四五年(昭和二〇年)頃までの本件当時において国際慣習法となるに至っていたとは認められず、同報告書を根拠に原告が主張する内容の国際慣習法が成立したということはできない。
(3) また、原告は、その主張に係る国際慣習法が成立している根拠として、クマラスワミ報告書が被告に対し慰安所制度が国際法上の義務に違反したことを承認し、その違反の法的責任を受諾することなどを勧告した事実を主張する。
確かに、<証拠略>によれば、クマラスワミ報告書は、戦時の軍事的性奴隷制問題に関して大韓民国、日本国を訪問するなどして研究した上で、日本政府に対し、第二次世界大戦中に日本軍により設置された慰安所制度が国際法上の義務に違反したことを承認し、その違反の法的責任を受託することなど一定の行為をするように勧告していることが認められるが、また、同報告書は、個人による賠償請求権の有無という見地からの被告の法的責任に関する限りは、専らファン・ボーベン報告書の見解を引用し、同報告書が提言した原則に従い、被害者個人に対する賠償がされるべきことを勧告しているにとどまること、クマラスワミ報告書は、重大な人権侵害を行った国家によって被害を受けた個人が直接に加害国に対して損害賠償等を請求したのに対して加害国がこれに応じて被害者個人に対して直接に損害賠償等を行った具体的事例を特に掲げていないことが認められ、<証拠略>を精査しても、同報告書中に、個人を主体とする賠償請求について、本件当時までに、諸国家の行為の積重ねにより一定の国際慣行が成立していたことなど国際慣習法の成立認定に当たり要件とされるべき事実があったことに触れる記述を見出すことはできない。そして、前記(2)のとおり、ファン・ボーベン報告書の提言内容自体が原告の主張する国際慣習法成立の根拠となり得ないことをも考慮すると、ここでの当面の問題に関する限りこれを引用してこれに依拠しているクマラスワミ報告書の勧告も、右国際慣習法の成立根拠となり得ないというほかはない。
(4) 以上によれば、本件当時、原告が主張する被害回復義務の存在及びその履行についての一般慣行及び法的確信が確立していたとは認められず、これを基礎づける国際慣習法の成立が認められないから、その余の点について触れるまでもなく、国際慣習法に基づく原告の請求は理由がない。
3 強制労働条約に基づく損害賠償請求について
原告は、強制労働条約一四条、一五条が労働を強制された者に対する報酬の支払及び労災補償を義務づけていることをとらえて、強制労働条約は、違法に労働を強制された被害者個人に対し、加害国に対する金銭支払請求権を付与したと理解すべきであり、原告は被告に対し同条約に基づき損害賠償を請求することができると主張する。
そこで検討してみると、我が国においては、一般に条約は公布により当然に国内的効力をもつに至る(憲法七条一号、九八条二項参照)が、そのことと裁判所がそのまま条約を国内法として直接適用して個人と国家との間の法的紛争を解決することができるかどうかとは、おのずから別の問題であるといわざるを得ない。
条約は、本来国家間の権利義務関係を規定する国際法の一形式であるから、個人と国家との間又は個人と個人との間の権利義務関係に適用可能なものとして裁判所の判断基準とされるためには、原則的には国内立法等の国内措置による補充が必要とされる。条約によっては、そのまま国内法として直接適用可能であるような規定をもつものがあるが、条約のうちどの規定がそのまま国内法として適用可能であるかは、当該条約の個々の規定の目的、内容及び文言並びに関連諸法規の内容などを勘案して具体的に判断する必要がある。そして、条約の特定の規定が国内法として直接適用可能であることを肯定するためには、その規定について、条約の成立過程などから個人の権利義務を定め直接に国内裁判所で執行可能な内容のものとする締結国の意思が確認できるといういわば主観的要件と、個人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に規定されその内容を具体化する国内立法等をまつまでもなく国内的に執行可能であるといういわば客観的要件とがともに認められることを要すると解すべきである。
しかしながら、本件全証拠によっても、強制労働条約とりわけその一四条、一五条について、右の主観的要件があることも客観的要件があることも認められず、殊に、強制労働条約が締結されて以来、同条約に基づいて国家が違法に強制労働を課せられた個人に対して直接損害賠償を実行した事例が存在していたことを窺い知ることはできない。そうすると、強制労働条約殊にその一四条、一五条が直接個人に国家に対する何らかの請求権を認めているということはできない。
したがって、強制労働条約を根拠とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわざるを得ない。
4 カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に基づく請求について
原告は、カイロ宣言、ポツダム宣言及び平和条約に示された朝鮮に関する規定は、日本国に対し、朝鮮の独立の承認だけでなく、植民地支配下で奴隷状態に置かれていた朝鮮人民個人が被告の国家権力の不法行為により受けた被害を回復する義務をも課したものであるとの主張をしている。
しかしながら、日本国と交戦していた連合国のうちの主要国であったアメリカ合衆国、イギリス及び中国の三か国の首脳が、第二次世界大戦中にカイロにおいて会談し、対日講和条件に関して協議したが、その結果を宣言したのがカイロ宣言であること、同宣言には、「各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。」、「同盟国の目的は、千九百十四年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満州、台湾及び膨湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。」、「前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。」との文言があるが、それ以上に朝鮮又は朝鮮人民について触れた文言がないことは、公知の事実である。
そうすると、同宣言は、当時日本国が支配していた満州、台湾等の地域の返還、朝鮮の独立など、対日講和条件のうち主として当時日本国の領土とされていた地域の処理に関する三か国の基本方針を表明したものであることが明らかである。同宣言の趣旨、文言と対比してみると、それ以上に同宣言が日本国に朝鮮人民個人に対する損害賠償等の義務を負わせたものと解することは、無理であるというしかない。
したがってまた、同宣言を受けて発せられたポツダム宣言八項の「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく」との文言の趣旨も、三か国がカイロ宣言により宣明した右基本方針が履行されるべきこと、すなわち朝鮮の独立などを日本国に要求したにとどまると解される。
さらに、ポツダム宣言を受けて締結された平和条約の二条(a)の「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」との文言も、同様に、日本国の条約上の義務として朝鮮の独立などを締結国との間で合意したにとどまると解するほかはない。すなわち、右規定は、朝鮮の独立を承認し、朝鮮に属すべき領土と人に対する主権(いわゆる領土主権と対人主権)を放棄することを定めているにすぎないというべきであり、日本国の朝鮮人民に対する直接の被害回復義務をうたったと解することは無理としかいいようがない。
そうすると、右の各宣言及び条約が、原告主張のような被告の原告に対する損害賠償義務等の根拠となり得ないことは明らかであるから、右各宣言及び条約に基づく原告の請求も理由がない。
二 争点2(民法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
1 原告は、原告が従軍慰安婦として受けた被害は、重大な人権侵害に係る国家の違法行為に基づくものであるから、国際慣習法上、被告は原告個人に対し原状回復、賠償、満足等の被害回復義務を負っており、右国際慣習法と矛盾しないように民法の規定を解釈すれば、国家が自ら重大な人権侵害行為を行い被害を生じさせた場合には、民法の不法行為の規定の適用により、被害者である個人は、当該加害国に対し、不法行為に基づき損害賠償を請求できると主張する。
しかしながら、そもそも、国家賠償法の施行前においては、国の賠償責任を認める法令上の根拠はなく、明治憲法下の本件当時においては、個人が国家の権力的作用によって損害を受けても、私法である民法は適用されず、国は民法七〇九条などに基づく不法行為責任を負わないという国家無答責の原則が妥当していたことが明らかである。
すなわち、明治憲法下においては、権力的作用によって個人の損害が発生したとしても、民法の適用はなく、国の賠償責任を認めた法律もなく、また、行政裁判法一六条は、「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セズ」と規定し、行政裁判所に対して国家賠償請求訴訟を提起することもできなかった。このため、権力的作用に基づく損害については国の賠償責任は否定されてきた(大審院昭和一六年二月二七日判決・民集二〇巻二号一一八頁参照)。最高裁判所によっても、「国家賠償法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示してきたのである。」(最高裁昭和二五年四月一一日第三小法廷判決・裁判集民三号二二五頁)と判示されている。
そして、国家賠償法附則六項には、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」との経過規定があるから、日本国が同法施行前である本件当時に個人に対しその権力的作用によって生じさせた損害を民法七〇九条の規定によって賠償すべき責任を負担すると解することは無理である。
原告により重大な人権侵害とされる本件行為の態様は、明らかに最高裁判決のいう「公権力の行使」に該当する国家の権力的作用によることも否定しようがない。
したがって、本件当時の行為について被告が原告に対し損害賠償責任を負う可能性は排除されるから、原告の民法七〇九条に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
2 その上、原告の請求に係る請求権は、二〇年の除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅したというべきである。
すなわち、原告が、本件行為時である一九三八年(昭和一三年)頃から一九四五年(昭和二〇年)頃までの時点から既に二〇年以上経過した後の平成五年四月五日に本件訴訟を提起したことは記録上明らかであるから、原告の請求権は、右二〇年の除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅したものといわざるを得ない。したがって、原告の民法七〇九条に基づく請求は、この点からも、理由がない。
もっとも、原告は、この点について、いわゆる予防接種ワクチン禍事件上告審判決(最高裁平成一〇年六月一二日第二小法廷判決・判例時報一六四四号四二頁)を引用し、同判決は、当該事案における具体的事情のいかんによって、民法七二四条後段の除斥期間の適用が排除されることを明らかにしたものであると主張する。
しかしながら、民法七二四条が不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定をその趣旨としていることを考えると、同条後段は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定め、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当である(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁参照)。原告引用の最高裁平成一〇年判決は、前記最高裁平成元年判決の例外を認めているが、不法行為の被害者が不法行為の時から二〇年経過する前六か月内において不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後された禁治産宣告に伴い就職した後見人が六か月内に損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときに限局して、民法一五八条の法意に照らし、民法七二四条後段の効果は生じないとしたのであり、あくまでも前記最高裁平成元年判決の枠組が維持された上で、不法行為を原因として心神喪失の常況にある者について特別な事情のある場合に限定してその例外が認められたにすぎない。したがって、その判例としての適用範囲は極めて狭いというべきであり、原告の主張するように除斥期間の適用を当該事案の具体的事情によって制限することを広く認めたものとは解されず、原告が前記第四の二1(二)の(2)及び(3)において主張する事実が全部証明されたと仮定しても、なお右の判例に準じて民法七二四条後段の効果が生じないとされる特段の事情があるとはいえない。
また、除斥期間の性質を考えると、右二〇年の期間が経過したことにより当然に本件請求権が消滅したものと判断され、これに信義則違反又は権利濫用の法理を適用する余地はないといわなければならない(前記最高裁判所平成元年判決参照)。
三 争点3(名誉毀損、処罰義務違反及び立法不作為を理由とする国家賠償法に基づく謝罪及び損害賠償請求権の存否)について
1 名誉毀損について
(一) 原告は、労働省職業安定局長清水傳雄(当時)らが、従軍慰安婦制度に対する日本軍及び被告の関与を否定し、その強制連行性を否定する趣旨の発言をしたことは、従軍慰安婦が任意に売春行為を行っていたと主張したことにほかならないから、右発言は、原告を含め従軍慰安婦とされた者の心を傷つけ、その名誉を毀損する不法行為を構成し、被告は国家賠償法上の損害賠償義務、謝罪義務を負うと主張する。
ところで、そもそも名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価をいい、名誉毀損の成否は、一般人の通常の注意と読み方(聞き方)とを基準にして、右のような社会的評価が低下させられたかどうかによって判断されるべきである(最高裁昭和三一年七月二〇日第二小法廷判決・民集一〇巻八号一〇五九頁、最高裁昭和四五年一二月一八日第二小法廷判決・民集二四巻一三号二一五一頁参照)。
したがって、言論による名誉の侵害があったといえるためには、その言論が人の社会的評価を低下させるに足りる具体的なものである必要があり、かつ、当該言論により特定人について前記人格的価値に係る客観的な社会的評価が低下させられたことが必要であると解すべきである。
(二) そこで本件について検討してみると、原告の主張によれば、労働省職業安定局長清水傳雄(当時)の参議院予算委員会における答弁の内容は、「慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れ歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申し上げてできかねると思っております。」というものであり、労働省職業安定局長若林之矩(当時)の参議院予算委員会における答弁の内容は、「私どもといたしましては、朝鮮人従軍慰安婦問題という御指摘でございましたので調査をいたしましたが、当時、厚生省の勤労局あるいは国民勤労動員署というのがございまして、こういうところが動員業務を担当していたわけでございますが、当時そこに勤務しておりました者から事情を聴取いたしました結果、厚生省勤労局も国民勤労動員署も朝鮮人従軍慰安婦といった問題には全く関与していなかったということでございまして、私どももそれ以上の状況を把握できないということでございます。」というのであり、平成四年七月の官房長官加藤紘一(当時)の発言の内容は、「募集のしかたについて(強制連行を示す)資料は発見されていない。」というものであり、<証拠略>によれば、右の三名の各発言内容は原告の主張どおりであったことが認められる。
そこで、右の三名の各発言内容を通常の一般人の注意と読み方(聞き方)に照らして判断すれば、右の各発言は、いずれも被告の従軍慰安婦制度に関する調査結果をその段階ごとに述べているものにすぎず、発言内容自体からも、各発言に係る調査は相当限界のある不十分なものであったことが明らかにされており、各発言内容は具体性がなく、原告を含む特定の人々に関して述べられたものと理解することは難しく、まして、原告主張のように従軍慰安婦であったとされる人々が任意に売春行為を行ったなどの趣旨を含むと理解することは不可能である。
したがって、これらの発言によって原告に対する社会的評価が低下したということはできず、原告の名誉が侵害されたとはいえない。
(三) なお、原告は、前記三名の発言が原告ら従軍慰安婦とされた人々の心を傷つけるものであると主張しており、その趣旨は、これらの発言が原告らの名誉感情を侵害することを主張する趣旨とも解される。
しかし、そもそも名誉感情は、人が自己自身で与える人格的価値に対する評価であって、主観的な領域に属する問題であり、法的保護の対象となると考えることは難しく、名誉感情は基本的に民法七一〇条、七二三条の名誉に含まれないと解される(前掲最高裁昭和四五年一二月一八日判決参照)。もっとも、表現態様が社会通念上許される限度を超えた侮辱行為によって名誉感情が侵害された場合には、その行為は不法行為を構成すると解することができるが、前記(二)において認定した各発言内容が社会通念上是認し得ないような表現態様の侮辱行為であると認めることはできない。
したがって、原告が前記発言によって名誉感情が害されたことを理由に損害賠償を請求できるとは考えられない。
(四) 以上によれば、原告が前記国会答弁等によって心を傷つけられ、その名誉を毀損されたことを理由とする損害賠償請求、謝罪請求は、理由がないというべきである。
2 処罰義務違反について
原告は、被告が原告に対する加害責任者を処罰しないことが、原告の平穏な心情で生活を営む利益及び人格の侵害にあたり、違法と評価されるから、原告は被告に対し、国家賠償法一条一項により損害賠償を請求することができるし、同法四条、民法七二三条により謝罪を請求することができると主張する。
しかしながら、犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われ、犯罪の被害者の被侵害利益ないしは損害の回復を目的とするものではないから、国は被害者個人に対して犯罪者の処罰義務を負うわけではなく、犯罪の被害者等が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないというべきである。したがって、犯罪の被害者は、捜査機関による捜査が不適切であり、又は検察官が起訴処分をしないからといって、国家賠償法に基づく損害賠償を請求することはできないというべきである(最高裁平成二年二月二〇日第三小法廷判決・判例時報一三八〇号九四頁参照)。
そうすると、その余の判断をするまでもなく、処罰義務違反を理由とする原告の損害賠償請求、謝罪請求は理由がない。
3 立法不作為について
(一) 原告は、国会議員が、憲法及び国際慣習法に基づく立法義務に違反して、原告を含む同様の境遇にあった者に対する補償立法を行わないことは、国家賠償法上違法であるから、原告は被告に対し、同法に基づき損害賠償と謝罪を請求することができると主張する。
しかしながら、憲法が採用する議会制民主主義の下においては、国会は、我が国に存在する様々な意見及び利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成するという役割を担っているということができる。議会制民主主義が適正かつ効果的に機能するためには、国会議員の立法行為の内容にわたる実体的側面に係る立法過程における行動は、国会議員各自の政治的判断に任せられ、その当否は終局的には国民の自由な言論等の政治的評価に委ねられていると考えられる。つまり、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制の対象になじまず、特定の個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を想定して具体的立法行為又は立法不作為の適否を法的に評価するということは、基本的に許されないというほかはない。したがって、国会がいつ、いかなる立法をすべきか、又は立法しないかについての判断は、国会の政治的裁量に委ねられ、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負わないというべきであって、国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法であると評価されるのは、憲法の文言上国会が当該立法をすることが一義的に明白であるのにもかかわらず国会があえて立法を怠っているというような、容易に想定し難い例外的な場合に限られると解すべきである(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)。
確かに、本件において、従軍慰安婦とされた人々の体験と境遇に思いをめぐらすと、言語に尽くし切れない苦痛と悲惨さを伴ったであろうことが推測されるから、立法によりこれらの人々に対し国の手により何らかの救済を講ずる手段を創設することは、立法裁量上の選択肢の一つであり得るということができる。しかし、だからといって、憲法の明文からもその解釈からも、原告主張のような形での補償立法義務が存在することが一義的に明確であるとすることはおよそ無理であるというしかなく、そのような補償立法がされないからといって国家賠償法上違法視されるべき謂われはなく、結局、この点に関する原告の主張は採用することができない。
(二) また、原告は、国家の行為が重大な人権侵害行為に該当し、ユス・コーゲンス(強行規範)に違反する場合には、当該国家は、国際社会全体又は万民に対する義務として、その義務違反によって生じた被害を回復する責任を負うのが国際慣習法であるから、右国際慣習法によっても補償立法義務が発生すると主張しているようにも解される。
しかしながら、前記一の2(二)において詳述したとおり、国際慣習法が成立するためには、諸国家の行為の積重ねを通じて一定の国際慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要であると解するのが相当である。しかし、本件において、右の国際慣習法と主張されるものについて、これらの一般慣行の成立と法的確信の存在は主張立証されているとはいえないし、国家の立法義務が個人に対する関係で成立する理由についての主張立証もない。
そうすると、これに基づく立法義務が生じるとする原告の主張は、その立論の前提を欠き、理由がないものといわざるを得ない。
(三) したがって、国会議員の立法不作為を理由とする原告の損害賠償請求は、理由がないというべきである。
第六結論
以上によれば、本件請求はいずれも失当として棄却を免れない。
(裁判官 成田喜達 山崎勉 中丸隆)
別紙<略>